ひとりごと2です
 
 

分からないこと

最近の口癖がこれ
「わたしって〜〜がわからないんだよー!」(と怒ったり泣いたり)

こういう事がたくさん有るのだろうね
聞いてくれたら説明するよ、いつでも
(聞かないと誰も教えてくれないのだ)
それが分かるまでは「〜〜ってどういうこと?って聞いてごらん?」と言い続けるね
分からない事はゆっくり分かればいいから
 
 

難しいと思ったこと

以前、HPに載せていたある一文に対してメールを戴きました
書いていた事をこちらの意図とは違う方向に取られてしまいました
私の書き方も悪かったかもしれないですが
話し合いは平行線に終わってしまいました

今その部分を書き直すとすれば
『自閉症の幼児期の子に必要なのはなによりも療育』
『自閉症の学齢期の子に必要なのは療育と愛情と環境』
『自閉症の思春期以降の子に必要なのは・・・』(まだはっきりとは分かりません)

こんな感じになるでしょうか・・・
けして愛情が分からないという事ではなく「タイミング」だと思います
幼児期に愛情だけではどうにもならないという事、それを伝えたかったのです
多分そう受け止めて下さっていた方が多かったと思うんですが・・・
もし当時気分を悪くされた方がいらしたらすみません

難しいです、言葉は
(大人ですらこうなのですから)
 
 
 

ワールドカップ

「あしたはワールドカップなんだよね〜」とご機嫌
過去の事は忘れやすいけど、先の事は分かるようになってきたね
「こんどは4年ごね」
4年後・・・その時にはどうなっているんだろう
今と同じように笑ったり泣いたりかな(笑)
もう少しお嬢さんの耐性が上がってパニックが減っているといいのだけど(笑)
 
 

普通級の中の娘

幼児期に言葉に対して全く反応を見せなかった娘が言葉をある程度操るようになったのは
6歳になった頃でした
入学はそれから間もなくでした

言葉以外にパニックの問題、運動の問題(出来なければ出来ないでそれはいいのだけど)
など有ったので就学検診が終わった日に(就検はパスしたのですが)学校に簡単に
いきさつを伝えました

「発達は個人それぞれ」
と理解を示して下さいました

「担任と色々と話し合ってやっていきましょう」と、そういう措置が得られる事になりました

娘の担任になって下さった教師はとても教育熱心な先生
落ち着きの無い子供が他にも居るクラスでしたが、日に日にクラスのまとまりを感じるように
色んな事が出来にくかったり、分かりにくかったりする娘にクラスの子供は最初は「どうして?」
と質問の嵐でした(私に対して)
1年が過ぎ、なんとか「こういう子なんだ」と分かってもらったように思います

担任にも「自閉症」の事を年度途中で打ち明け自閉症の事を色々と知って戴きました
子供達にも簡単に伝えてみたり・・・

普通級の中の娘はやはり想像していた通りの様子です
ある程度適応出来、ある程度の不適応を見せています

今後どうなるのかは正直分かりませんが行ける所まで頑張っていきたいと思います
 
 
 

言葉の違い

一見「話すようになってきた」自閉症の娘
下の子供が2歳頃からめきめきと会話力を上げていくのを目の当たりにして
2人が話す言葉の違いは何だろう、と思う事が増えてきました
 

・娘からの発語
 訴えたいことが有る時 (要求、報告(報告は遅かったですし、数もいまひとつ))
 知りたいことが有る時 (分からない語句の質問が多い)
 したいことが有る時   (〜〜していい?←仕込んだ)
 

・下の子供からの発語
 訴えたいことが有る時 (要求、報告、協力を求める)
 知りたいことが有る時 (人に関しての質問が多い)
 自分が考えた事、発見した事を聞いてもらいたい時
 ふとした疑問など
 

娘の興味範囲が物や自分の要求、知識面に留まっているのが
明確になった気がします(^^;;)
それから言葉を発したいと思う場面もどうも少ないみたいです
(満たされた環境にあればこの傾向は高くなると思っています
多少不便な環境に身を置かせた方が上手く行く場合も有るかと)

思うのはあまり疑問に思う事が無いらしいという事
(物事の繋がりに関してなどの思考力が弱いと思います)
疑問に対する答え方を教えて、本人から質問も聞けるようになってきましたが
どうもあまり疑問が増えないのはそういう事のようです
物の意味などは聞くんですが まだそこ止まり

疑問や考えた事を言葉に出す習慣が付いていない事も有ると思っています
自分の中に思いが明確でない段階で留まっていると思います
言葉にすればこうなんだよ、と解説を心掛けています
結構慣れるまで試行錯誤です 大丈夫かな、と自分でも思いますが
大体当たりが出ているみたいです

自分以外の人がどんな存在なのかがいまひとつ理解出来ていないかも、とも
人数が多いと余計にそうです クラスは30人以上いますし
娘が祖父母を自分のおじいちゃん、おばあちゃんだと認識出来たのは4歳代
身内ですら(あまり会えないというハンデ有りですが)こんな状態で
子供がごちゃごちゃと居る(本人の認識は多分こうかと)クラスの子供となると・・・・
個々の区別は付いているみたいで、特徴の有る子供だと「○○くんはいつもいじわるな
ことをいうからキライ」など可愛い事を(可愛いのか?)言うようになってきました
(それに対しては「いじわるな事を言う子もいるんだよ、いい所をさがせたらいいのにね」
「いじわるなことをいわれてもしらんふりだよ」など伝えています)

言葉があまり出なくてお悩みの方もいらっしゃると思います
受容言語と表出言語で、受容言語の方が数値が表出している言葉に比べて
かなり大きい場合少し時間が掛かるかもしれません
(我が子はこのタイプでした)
表出の方はじわじわと・・・亀の歩みで進んでいきました

ひたすら忍耐でインプットを続けて下さい
受容言語の伸びは理解力の伸びでもありますから
そして本人が言わない事を言わせてみる「こうだよ」と
その繰り返ししか無いと思います
 
 
 

世界を広げたい?

光君の連載を読みました
光君の中に存在している人の人数の話が出てきていました
うーん・・・と思わず考え込んでしまった

娘は人の顔と名前は幼稚園の時にほぼ一致していたと思います
(単純に覚えるのは得意)

が・・・1年生になってから年中の時に同じクラスだったお子さんに会った時
その子の名前を忘れていました 娘を可愛がってくれていたお子さんの一人でした
名前どころか顔も忘れていたようでした

その時は『どうして?1年も経ってないのに』と思ってましたが、なんとなく分かった気がしました
彼女の中に存在している人の数は私が思っていたよりもずっと少ないのかもしれない
(そして1年も経つとよほどの印象に残るお子さんか度々その後も会っている場合でないと
消え去ってしまう、と・・・)

今もそうなのかもしれない
父親、私、兄弟、近所の子供達数人、担任、クラスの子供達数人、園時代の
友達で時々会うお子さん
彼女の中にしっかりと存在している人の数はきっと今はこの位
(過去、誰もそこに存在出来ていなかった・・・)

世界を広げたいとは言ってもこれは本人の枠が広がるのを待つしかない・・・
これからも少しづつ広がっていくのでしょうか
いや、狭く深くのお付き合いをする人達だと聞いた事があります

世界を広げるのでなく、彼女の中にしっかり存在出来る人と出会えるように
その方向で・・・
 
 
 

アルバム

アルバムの整理をしました
溜め込んでいた写真をアルバムに入れていきました
実に2年振りの作業(^^;)
さぼってはいたけれどこんなに年月が経っていたとは

そして気付いた事実
この1年の写真が少なすぎる ほとんど無い
入学式の前後 旅行の時 帰省の時 イベント絡みばかり

写真倍増計画中
 
 
 

逃げる

パニックになる
その原因は様々
日によっても異なるし、今まで大丈夫だった事が体調次第でダメになったりする
娘の場合は耳が過敏な時期に大きな声、大きな音などでパニックになりやすい
兄弟児が姉に対してうるさい時が有る 娘は混乱しだす

そんな時の娘は逃げられない
『どうしていいか分からない』混乱した状態になっている

そんな時に私が言うのは
『隣の部屋へ逃げなさい』

原因がある場所から離れる、自分の身を守る その為の手段を考える
(こういう混乱した時に「考えなさい」はまだ不可能)

大変なことだけど頑張って欲しい
自分で自分の身を守る術を
 
 

I am Sam

見てきました
Samは自閉症でした
映像で訴えてくる感じ (視覚が敏感な方には辛いかも?)
音楽のタイミングが非常に良くじわじわと演出効果を上げてきます

Samがパニックになってしまうシーンが何度か有るのですが
その度に胸が詰まりました
(娘がパニックになった時には気を張り詰めているので涙は絶対に出ませんが・・・
・・・自分の子供のパニックの時に泣いている親はいないか)

パニックのシーンを見て自閉症関係者以外の人はどう思っただろう
また親ではない自閉症関係者の方はどう思っただろう・・・

ショーン・ペンとSamの子供ルーシー役の女の子の演技が心に染みました
映画館へは朝一番に行ったんですが満員でした しかも平日なのに・・・

子育てに悩んだ時親子の関係を考える時にいい映画では
ヒットしているのはその辺りからかも・・・
何度か見たい映画になりました
上映中にもう一度行くかも・・・・
上映が終わり席を立つ人もいる中、スタッフロールが流れ終わるまで
席を離れない人も多かったです
私もその一人でしたが・・・
 
 
 

4年間

自閉症関係のホームページを閲覧しては、これはと思ったページを
プリントアウトした物の整理をしファイルしていました

'98からの約4年分の物
60枚入るファイルが3冊埋まりまだファイル出来ていない物も・・・
(ファイルしていた物もあと数冊は有ったかと・・・)

これもひとつのアルバムのような物だなと思いながら見ていました
プリントアウトした日を見、どこのサイトかを見ては
とても懐かしい気持ちになっていました

今は星の数ほど有る自閉症関連のHPだけど
障害を知った頃、4年前は本当に少なかった 

(今は逆に情報過多の声も有るようですが・・・)

分からないからこそ必死に模索して・・・
あの必死さが私のエネルギー源だったような気がしています

もうすぐ4年
だけどまだ4年
 
 
 

ねぇ、答えはみつかった?

生まれて数ヶ月の頃から疑問に思うような様子を見せていた子供でした 
ですがそれからしばらくの間『きっと個性』と思い込もうとしていました
『もし遅れが有ってもきっとそのうち取り戻せる・・・・』と

障害を意識しだしてからそれが確信に変わるまでの期間は
短かったように記憶しているんですが確信してからの葛藤が長かった
障害の対応が何ひとつ出来ていなかった事への後悔
もっと早くに向き合えばという思い
どうして自分の子がという思い

とりあえずこれらの気持ちは大分消化出来
物事を少しは建設的に考えられるようになってきたと思います。
日々の生活は相変わらずバタバタと色々有りながら過ぎていきますが
私自身はその中でゆっくり変わったと思います
 

で・・・ 私の答えは

これからも甘く苦くやっていく
自分でこの道を選んだのだから(覚えてないけど)

あの詩はいいですね(「おきにいりフレーズ」に載せている詩です)
読んでいるとほろ苦い思いで一杯になってきますが・・・
こんな自分もあと何年か経てば懐かしく思いだすのでしょう、きっと・・・
 
 
 

幼稚園の記憶

最近になって幼稚園の時の事をポツポツと聞けるようになってきました
記憶がどうも断片的で(記憶に関して本当に特殊な記憶だと・・・)
過去の事は特に聞きだしにくいのですが、なにかきっかけが有れば
ようやく今になってですが、少し思い出す事が出来るようです
その時楽しかった事はまるで今の事のように大笑いをします
(この辺りも独特)

「ようちえんの時何が楽しかった?」と聞いてみると
「きゅうしょくのあとあそんだのがたのしかった」
「どこで遊んでいたの?」「そとのゆうぐがあるところ」

全くの初耳で、そうだったんだ、という感じです(当時は聞いても答えられませんでした)
当時は全く何にも考えていない様子を見せていた子供でしたが
(そして時々大きな癇癪が・・・・)
内面には「楽しい」という気持ちは確かに有ったんだと今更ながら思っています
気持ちの表出は本当にゆっくりで難しかったので・・・(今も継続中)

また時折幼稚園の事を聞いてみようかと思っています
 
 
 

今月の光くん

珍しく母親の内面が描かれていました
日常の大変さから家庭がどんどんささくれていく様子が上手く描かれていました

「これが最後のかんしゃくになりますようにと願いながら・・・」

これにまた涙
毎月泣いている気がします(笑)

「パジャマの事はきっかけのひとつに過ぎないの?」はそうだと思います
無理はあまりさせない事ですね

ただ本人が無理をしている事などをなかなか出せないので
その辺りは周りが推し量ってやらないとならないのですが
 
 

あるサイトで・・・

20歳前の自閉症のお子さんをお持ちの方のサイトを拝見しました

15歳の今、4〜5歳の子供に接するような愛情を持って子供に接している
と書かれていました
それまでは手間に思う事の方が多かった・・・と

まだ先は長い
ゆっくり焦らず・・・
そう思ったサイトでした
 
 
 

ねえ、おかあさん
 

ねえ、おかあさん しってる?

わたし のうのしょうがいっていうのがあるんだって
しんけいのいじょうっていうのもありそうで
それで気がそれたり 時間のかんかくがわからなかったりするのかな
まわりのじょうきょうが分からなくて まいぺーすなのもそれでなのかな
かんかくっていうのも みせいじゅくなんだって 
それからわたし 体の中のみねらるのばらんすっていうのもとてもわるいんだって
ミネバラがわるいのね
だから水ぎんとかがたまってしまうのかな
この前しらべたら からだの中に水ぎんがいっぱいあって おかあさんびっくりしてたよね
 

わたしには わからないことやたいへんなことがたくさんあって
それでさいきんこまることもあるの

でもこまっているの たすけて って言えないの
なんで言えないか せつめいするのはむずかしいんだけど・・・
 

わーきんぐめもりー っていうところがよわいみたいだっておかあさんがしらべたの
ここがよわいと すぐにこんらんしてしまったり うまく考えることができにくいんだって

わたしもそうだから わーきんぐめもりーがよわいのかなあ
でもどうしたらわーきんぐめもりーがつよくなるんだろう・・・

ここがつよくなったらかんがえるのとくいになるのかな
わたしきおくするのはとくいなんだけど かんがえるのちょっとむずかしいから

ねえ、おかあさん
たぶん なかなかわからないこともあるとおもうけど それまでいろいろおしえてね
 

(母  了解)
(文章は当然仮想です)
 
 
 

療育について思うこと
 

療育は何の為に行うのか

されている方は多分これが明確に有る事と思います
 

少し先の子供の姿が今よりもよい状態なこと

もう少し先の子供、そして親が幸せなこと

私の目標はこれです
 
 

療育をしていると時々壁にぶつかります

伸びが悪い所は頑張っていても獲得するのが難しい

壁だと思い、思い悩む日々

そして忘れた頃に苦労していた事がなぜか急に出来たりするのも

何度か見てきました

結局は「まだその時期ではなかったと」いう事
 

この見極めが出来ずに苦しんだ日々

子供の成長が止まったかのように思った日々 

何度思ったでしょう

これからもあるかもしれません
 

だけどまたいつものように一緒に

そうやって今までやってきたよね

これからもずっと・・・・
 

療育支持派です

やって悪い事は何ひとつ有りません

ただ親の安定が必須条件です

子供の成長はけして計る事が出来ない事を知り、行って欲しいと思います
 
 
 
 

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