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autismドラマに関するBBS 過去ログ(2000年5月6日〜5月15日分)


[605] ゴシップとパート2 投稿者:sippona 投稿日:2000/05/15(Mon) 23:16

> まず、頂点に立っていて人を指示する立場にあるビルゲイツとバイトで人から指示される立場の繭子との違いが大きいのではないでしょうか。

ええ、解っています。
それなりに高い地位をすでに得られていますし、その辺りで違うのは当たり前の事だろうと。

国柄の違いではなく、身分の違いだけでしょうか、やはり。
それでも米国という国は自閉症の子供が公共の場などで暴れている時などに
「この子は自閉症なんです」で通用するそうですね。
それだけでみんな向けていた視線を外してくれるそう。
解ってもらえる素地というのは格段に違うのではないかと・・・そんな風に直感しているのです。

個人的にはT.グランディン氏のドキュメンタリーを再放送して欲しい。
地域的にしていなかったので見れずじまいです。
それを見られた方がどうして自閉症状が出るのかなどとてもよく解ったそうです。
この時、後発番組として脳の特別番組をしていましたが、この時の氏のドキュメンタリーは
かなり好評を博したようで問い合わせがかなり合ったと聞いています。

パート2、もちろん大歓迎!
でも、視聴率ってキープしているのかしら?
その辺りも心配。


[604] バート2ってあるのかな? 投稿者:ひいろ 投稿日:2000/05/15(Mon) 17:34

TBSのほうを見てて、思ったんですけど・・
視聴率さえよければ、パート2(もしくはスペシャル)を
つくれるようなスクリプトになってる気がしませんか?
ぜひつくってほしいです。
ドラマが終わったら、はいそれまてっていうのは
とても悲しいです。
個人的にも「君が・・」はとてもいいドラマだと思ってるもんで。
う〜ん。さすがはドラマのTBSと、
いつもうなって見ています。


[603] Re[602]: ゴシップ 投稿者:とら 投稿日:2000/05/15(Mon) 15:11

> ビルゲイツもアメリカの新聞にゴシップ出されていたのですよね。
> 高機能自閉だって。
> でも何事も無いかのようにしている所を見るとやはり理解されているのかな、と。

まず、頂点に立っていて人を指示する立場にあるビルゲイツとバイトで人から指示される立場の繭子との違いが大きいのではないでしょうか。ビルゲイツに関しては「高機能自閉症」「アスペルガー」などの話を聞きますが、本当に親しい人でないとどの程度かは判らない様に思います。彼が Special Edを受けていたと言うのは事実のようですし、目を見て話をしない、会議の時などでも唐突に話を始める、ロッキングが激しい、食べこぼしがひどい、など多くの特徴を耳にします。メディアに出たがりませんし、一方的なビデオレターのような形でしかマスコミには顔を出しませんよね、でもまれに接待ゴルフでにこやかに写真に写っている姿を見ると、はたしてそうなのかと思うことも有ります。


[602] ゴシップ 投稿者:sippona 投稿日:2000/05/15(Mon) 13:49

あの〜話題が違うんですが・・・
繭子は週刊誌にゴシップを出されてしまいましたよね。
で、それを機に急に会社の人にはとまどわれてしまうように。

やっぱりそういうもの?今までは「なんかちょっとずれたひと」だったものが『障害』だとなると
そうなるの?

ビルゲイツもアメリカの新聞にゴシップ出されていたのですよね。
高機能自閉だって。
でも何事も無いかのようにしている所を見るとやはり理解されているのかな、と。
この辺お詳しい方いらっしゃいませんか?


[601] 視線 投稿者:如月 投稿日:2000/05/14(Sun) 19:21

 繭子と美咲の視線について、二、三思うところがありました。美咲が繭子の会社の前で待っている場面は少し過剰演出の感もありましたが、ベンチに座って話をしている場面は、そっくりそのままあんな話し方になると思います。まだ二度目だけれど、ひとまずは友達なのだから、あれだけ離れて座って、あまり互いの顔も見ずに話す姿は、常識的にいえば少し奇異にうつります。知っている方であれば、自閉症者の典型的な話し方だな、と理解されると思います。
 私も仕事で人に会っている時には、相手の顔や目を見て話していますけれど、個人的な場合で相手がそういう人だとわかっているのならば、ベンチに座る時の互いの距離とか、相手のほうを見る頻度についてかなり神経質になります。今までにそんな経験はありませんが、初対面であればその辺の間合いにとても気を使います。自分の感覚から推測して、相手は近づき過ぎたり、見られたりする事がとても嫌かもしれないと、あれこれ悩むからです。私は比較的鈍感なので、あまりくっついて座られたりしない限りは、まあいいかと平気でいられますが、敏感な人は徹底的に敏感だろうと思います。
 「ロンドン橋落ちた」というような話題ならばともかく、「怖くなかった?」というようなせりふを、顔をじっと見て繭子の母親のような情感のこもった口調で言われたら、たぶん繭子はたまげて、ベンチから転がり落ちるでしょう。さすがの私でも、そこまでやられるとギョッとして、何て無神経なヤツなんだと不愉快になります。私の感覚では混乱するとかそういうものではなく、必要以上に強い刺激を与えないでくれ、という理由からそう思うのです。
 多かれ少なかれそういう感覚を持っている人は、自分がそんないい方をされて不愉快だった事が体に染み付いているので、極力相手を無用に刺激してしまわないように、のっぺりとしたいい方をするようになります。顔を見て話さないのは正にそのためだし、感情の入らない棒読み口調になるのも、無用な刺激がなくて気持ちがいいから、という一面があるのではと思います。フラッシュバックのように、次から次へ過去の事を思い出してしまう人ならば、ほんの少しの刺激が過剰刺激になるでしょうから、常識的には考えられない程に過度な自己防衛(表に現れる形としては、こだわりとか理解しがたい行動等)を持っているはずです。刺激に対して過敏過ぎるという観点から考えると、自分の嫌いな食べ物を、誰かが食べているのを見ただけで拒絶反応を示す子供の心理は、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」というもので、それほど不思議なものではありません。
 他の人が何故そうするのかはともかく、私が視線を合わさない大きな原因は、このように無用な刺激を避けるための半ば無意識的なものなのです。見られるのが嫌なので、自分も相手を見ないのです。そんなことは当たり前と思っていましたが、当たり前とは受け取られていないような感じもしますので、敢えて書いてみました。
 基本にある発想は、己の欲せざる所を相手に施す事なかれ、ですが、感覚が違うと当たり前が当たり前にならず、逆効果になる場合があります。視線もその一つなのかなと思いました。



[600] Re[595]: 誇り、プライド、自信 投稿者:如月 投稿日:2000/05/13(Sat) 13:19

>小さな仲間たちのために書いときます(ここにのこのこ出てき>て書き込むのも、実は「恥さらし」のようで気が引けてるんで>すよ、私、これでも)。

なにかの役に立つのなら、恥の一つや二つぐらいはまあいいか、という感じですよね。あれから、あと二人ナイジェリアの選手を思い出しました。ババヤロとアモカチ。ババヤロはなんかの間違いのような気もしますが、確かにいたはずです。二人が揃うと面白いルーマニアのロペスクとポペスクとか、ワールドカップには出ていなかったけれど、アルゼンチンにはマングーソという日本語の語感を超越している人もいました。それから、イカンガーはエチオピアではなく、タンザニアの人でした。


[599] 「天使〜」 投稿者:megumi 投稿日:2000/05/13(Sat) 08:53

輝さんが、「自転車ない、ない、どこ、どこ?」っていいながら
ひらひらと車道を走っていく様子、
うちの子と本当によく似ていて、
車が来たときには髪の毛が逆立ちました。

まいったなぁ。


[598] 「君が〜」第5話 投稿者:megumi 投稿日:2000/05/13(Sat) 08:50

ちょうど、11日の午後、障担と原担と3人で話した内容が
ドラマのポイントなっていました。

繭子が仕事をいっぺんにたくさん言いつけられて、
ケンケンした声でいろいろ言われて
小パニックをおこすところ。
音がじ〜〜〜わんわんじ〜〜〜〜わんわんじ〜〜〜〜〜〜〜〜って
だんだん訳が分からなくなっていく感じ。
きっとそうなんだろうなぁと思っていたことでした。

佐久間先生が「説明が必要だ。それも一度じゃダメ。何かあるたびに
その都度説明することが必要だ。」

会社の上司が「そういう風に具体的に言ってもらうと助かります。
みんなどうしたらいいかわからないので、不安なのです。」

なんだか、嬉しくなって、ぼーっとしていたら、まちがって
ビ*レUで歯を磨きそうになりました。
……めちゃくちゃまずかった。

狭山先生、主治医になってしまった。

「トラウマを解消する道具にするな」といわれて
スタンスが定まったのかしら。

それなら、ペンギンさんのおっしゃるように、
心理的な距離を保つようにできるかもしれない。


[597] Re[595]: 誇り、プライド、自信 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/13(Sat) 05:57

> 昨日のドラマに完全にノックアウトされてしまい、心臓までおかしくなってしまったらしいのですが、小さな仲間たちのために書いときます(ここにのこのこ出てきて書き込むのも、実は「恥さらし」のようで気が引けてるんですよ、私、これでも)。

『小さな仲間たち』の1人である、娘のルーになりかわって、お礼をいいたいと思います。
ありがとうございます。

娘は、今はまだ、何もわかっていない様子ですが、近い将来、目の前に立ちふさがるであろう壁を、親として知っていてやりたいと思います。
何も出来ないかもしれないし、相談もしてもらえないかもしれないけど。
それでも、子供にとって、あまりに的はずれなことだけは、言ったりしたりしたくないと、心から思っています。

>
> 子供たちに心の砦を作って、それを守ってやってください。

皆さんのアドバイスを大切にして、がんばりたいと思います。


[596] それから、 投稿者:ペンギン 投稿日:2000/05/12(Fri) 17:35

劣等感→罪悪感、自己嫌悪→自己否定、にしないように。


[595] 誇り、プライド、自信 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/12(Fri) 15:40

昨日のドラマに完全にノックアウトされてしまい、心臓までおかしくなってしまったらしいのですが、小さな仲間たちのために書いときます(ここにのこのこ出てきて書き込むのも、実は「恥さらし」のようで気が引けてるんですよ、私、これでも)。

私が親御さんたちに「自信」を持つことや「今のままでいい」ということを子供に伝える点に強調を置きたいのは、昨日のドラマで狭山先生も言っていた「誇り」につながることからなのです。
また私の場合ですが、私が最初に気がついたは周りの子との「違和感」でした。それでも確かに「私には何か欠けている」という自覚=劣等感がどんどん強くなってはいったのですが、学校の成績が良かったことで、天秤の釣合いがとれていたのです。

劣等感→自己嫌悪 対 プライド 

優越感は劣等感と表裏一体の関係にありますよね。
自閉症者が「自閉症はビューティフルだ」みたいなことを言ったり、選民思想みたいなものを持ってたり、ある種独特の優越感を持っていたりするのは、そんな一種のプライドが、日頃の差別から生まれた劣等感・自己嫌悪から、心を守るための砦になることを本能的に知っているからだと、私は思っています。

子供たちに心の砦を作って、それを守ってやってください。



[594] 私も、 投稿者:ペンギン 投稿日:2000/05/12(Fri) 06:07

パソコンのおかげで命拾いしました。


[593] Re[592]: お邪魔します 投稿者:如月 投稿日:2000/05/12(Fri) 01:54

> 私にとって、言葉は自分のものではないので自分の思ったこと>をうまく言葉にできず、そのため私が抱えている困難を周囲の>人達に分かってもらうことが出来ませんでした。

 言葉が自分のものではない、という意味の全てはわかりませんが、私も言葉が自分のものでなかった時間が長くありました。37、38の頃まで、自分の考えを言葉にして書いたり話したりはできませんでした。どうしてかと聞かれると困ってしまうけれど、口は動かないし手も動かないのだから、形にはなりません。
 辛くないかと聞かれれば、30年以上もそうなのだからそれ以外の状態なんて想像ができなくて、比較の仕様がないんだから、そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれないな、としか答えられません。多くの人は言葉で伝えられる状態をずっと続けていて、その比較から辛くないかと聞きますが、知らないほど強いものはなく、それが当たり前なので辛さを感じたりはしないものです。勿論、それは私の感覚なので、伝えられなくて辛いと感じる人はいると思います。自分の感覚や感情に関係のない、例えば技術的な事などであれば、問題なく書いたり話したりできました。感覚や感情を表す言葉だけが、外に出ようとする時に、全てはねのけられてしまうような感じです。言葉を持たない人の言葉は、誰の耳にも届かず、それは存在しないものとなってしまいます。
 存在していると認知できる人のことを考えるだけでも多くの困難があるというのに、存在していないと思っている人への助けなど期待はできません。仕方がないのかなとも思います。ずっと仕方がないと思っていましたから。
 現在のように多くの人がパソコンを持って、安価な料金で瞬時に世界中のどこにでもつながる環境を手に入れるまでには、自分が自閉症スペクトルと後世呼ばれるものに該当するのだとは夢にも思わず、変人と呼ばれながら自分のやり方を貫いて、結果として科学技術の発展に寄与した、沢山の人達の苦労があります。その報われなかった屍のおかげで、ほんのここ数年でしょうが、その環境を手に入れました。
 彼等彼女達は何も知らずに死んでいって、大きな遺産を残してくれました。小さな声も大きな声も、インターネットの電話線の中に入ってしまえば、同じ大きさの声になります。インターネットは小さな声を聞くための、彼等彼女達の贈り物になりました。


[592] お邪魔します 投稿者:なな 投稿日:2000/05/11(Thu) 23:16

はじめまして、ななと申します。
私は自閉症関連のホームページや本を読んで、最近になって自分
は自閉症スペクトル上の何処かにいると自覚した者です。

私の場合、両親もすこし変わった人達なので、その娘が変わって
いてもあまり不思議ではなかったらしく、普通の学校へ行き、普
通に就職しました。
私にとって、言葉は自分のものではないので自分の思ったことを
うまく言葉にできず、そのため私が抱えている困難を周囲の人達
に分かってもらうことが出来ませんでした。

ここのBBSを読んでいて感じたことは、ここで話題に上るお子
さん達は周囲の人達に自分の困難を理解されていて幸せだなぁ、
ということです。

私は自分がうまく世の中に溶け込んでないのは分かっていました
が自分が自閉症スペクトル上にいることを自覚する前は、なんで
みんな生きるのが辛くないんだろう、私がひ弱なのかなぁ、と自
己嫌悪の日々で、家族と一緒に居るときでさえ、なんとなく孤独
でした。

私は私達の世界の小さな仲間達が、私のような絶望的な孤独感に
飲み込まれないよう願うのみです。

それと、ちょっと個人的な伝言で申し訳ありませんが、

Lingkoさん、あなたの言葉は私にとって、お手本です。
私のような自分の言葉を持たないものにとって、自分の状態を
うまく言葉にしてくれるあなたのような存在はとてもありがたい
ものです。
これからも、自閉症の世界を言葉にしていってください。
よろしくお願いいたします。

取り留めのない文章で長々と失礼しました。


[591] Re[580]: わがままとこだわり 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/11(Thu) 19:41

>サッカーのワールドカップを見ていると嫌でも覚えてしまう名前が良く出てきます。ナイジェリアが名前の宝庫で、ババンギダ、オコチャ、アデポジ、オカホー、イエキニなどがお気に入りで、

うひゃ〜、封印しておいた記憶が蘇る〜!!
とある歩行者天国を歩いていたとき、道路脇の電気店においてあったTVで放映されていたニュースか何かでこの中の選手の名前(って具体的にはババンギダっだったかな)が連呼されていた・・・・私、突然の笑いの発作に見舞われて、道路につっぷして笑ってたよ〜!!一人だったのに!!しばらく回復しなかった。家に帰るまで、笑いを抑えるのに一苦労した。

アフリカの人って、「ン」のあとにガ行の来る人、多いよね。いきなり「ン」で始まったりして。

って、私には人種差別は全然ないのです。正確には「逆」人種差別があるかな。日本人嫌いだもの。人は違ってて当たり前、っていう国の出身の人とはなぜか話が合う。


[590] Re[580]: わがままとこだわり 投稿者:如月 投稿日:2000/05/11(Thu) 15:04

>言葉で表現できる以上のことを頭の中で考えて(これは非自閉児でもあるそうですね)いて、その思考と言語能力との間の落差が極端に大きかったのかも知れません。

多分私も言葉が遅いほうのタイプで、積極的とかおしゃべりとは無縁のところにいます。例えば繭子のように、レストランに食事にいってどうだったかなどと聞かれると、XXさん(この人とは今日会ったばかりなのだから、名前ぐらいしか知らない。けれども何か説明をしなければならないのだろうか)と**さん(この人だって今日会ったばかりなのだから、名前しか知るわけがない。それでも何か特徴をいわなければいけないのか)で行った(ああ面倒くさい、どうにもならん。これで終わりにしてしまおう)、となります。括弧の中が思っていながら言葉にならない部分で、XXさんと**さんで行った、の向こう側には言葉にならなかった言葉がたくさんあります。その辺りの煩わしさから、ものを言うのがだんだんと億劫になってくるのです。細かい説明をしなくてもいい相手ならば、おしゃべりになることもありますので、そこら辺の面倒くささが無口になる原因かなと思います。
 人間は体験していない感情や感覚を理解できないものだと、私は信じていますので、「今のままでいいんだよ」と言ってくれた人は、外見から推し量れなくてもそういう人を知っていたとか、知識として知っていたと言うよりも、体験している何かを持っていたのではないかなと思います。うまく表現できない辛さ、もどかしさだとか、痛みという範疇に入る感情のようなものと言い換えてもいいでしょう。子供の小学校の時の同級生を、大学生になっても覚えている記憶力と、本を送る行動力は何かを感じさせるものがあります。

 話は飛んで、サッカーのワールドカップを見ていると嫌でも覚えてしまう名前が良く出てきます。ナイジェリアが名前の宝庫で、ババンギダ、オコチャ、アデポジ、オカホー、イエキニなどがお気に入りで、コロンビアのバルデラマは、まるでだめのようだし、アルゼンチンのブルチャガは、ぶんぶくちゃがま、イランのアリダエイは、あれ誰と聞こえて、試合以上に楽しめます。
 ババンギダは夢にも出てきそうで、確かエチオピア人だったイカンガーと語感も似ているので、言語学的にも近いのではと思っています。このての語呂合せを、自閉症と呼ばれる人たちが好むのだとは知りませんでした。ギャグの長持ちと言う点では、自慢するほどではないけれど、かなりのものです。一度や二度で捨ててしまったら、ギャグに対して失礼ではないかと思うからです。
 推理小説などは、読み終わった後で犯人を間違えていたことが高校の時にあったので、下手をすると読み返すたびに犯人が違ってしまい、掛け値無しに何度でも楽しめてしまうのです。文章の解読能力は、かなりのものだったのでしょう。
 
 今ふと思い出したのが、「小鹿のゾンビ」で、「小鹿のバンビ」を「小鹿のゾンビ」と読んだら、さすがに何かを感じたのか子供がきょとん、としていたのを覚えています。「小鹿のゾンビはかわいいな。背中に白い点点よ。」と言う具合に。


[589] はい 投稿者:大ママ 投稿日:2000/05/11(Thu) 14:01

でも、『自閉症のあなたでいいの』と思いつつ、イライラしてしまうことがある自分がいやで・・・


[588] Re[563][557]: 音の語感に反応 投稿者:おサルのジョージ 投稿日:2000/05/11(Thu) 14:01

> > リンコさんは、新造語をつくったりされませんか?
>
> いまいちダメっすねー。いや、いまいちどころか、サッパリなんです。
>
「あの天日結晶塩使用アーモンド、もうないのー?」とか、「あっ、こんなところに天然塩海人の藻塩使用ピスタチオ食べきり少量パックがある!」
うーん、これは、おかしい、
こういう遊び方もあるんですねー
ジョージだったら、節をつけてさいごに、「うー!(ロックで
リズムにのって叫ぶ感じ)」とか、いいそうです

ジョージが新造語をつくったのは、5才ぐらいが
ピークでした
好きな電車には自分でなまえをつけたり
おもちゃに、なまえをつけたり、
「ぼくは、これを、なになにってよぶことにする」
というのが、口癖でした、、、、
それが、いまは、駄じゃれになってきてますー
次はなんだろう、、、、
(脱線の書き込みがおおくて、すみません)



[587] ままはっちさん、megumiさん 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/11(Thu) 12:54

>>「いち、にー、さん、ごー、.......ちが〜〜う!」

> これは高度なテクニックじゃないですか・・・。
ルーちゃんユーモアのセンスありますよ!!

そ.....そうかなあ。(すごくうれしい)。


>>「いち、にー、さん、ごー、.......ちが〜〜う!」

> こういう、一人ボケつっこみ、うちの子もよくやってましたよ。


もしかしたら、うちのルーも、少しは会話ができるようになる日がくるかしら。
表出言語の遅れがとりもどせないまま、過ぎていく時間に、あせりを感じる(いけないと思いながらも)日々なので、本当に希望の光が少しみえてくる気がします。
とても、うれしいことです。


[586] Re:[584] 今のままでいいんだよ 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/11(Thu) 12:01

すいません、シッポナさん、ヘンなところで実行キーを押して投稿されてしまいました。

えっと、「今のままでいいんだよ」と繰り返し言われたにもかかわらず、世の大勢に押されて「普通になろう」としてきた私です。特に社会に出てからが「今のままでいちゃいけない」という圧力が大きかった・・・。

だから何度でも言ってあげてください、「今のままでいいんだよ」って。


[585] Re:[584] 今のままでいいんだよ 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/11(Thu) 11:56

[584] 今のままでいいんだよ


[584] 今のままでいいんだよ 投稿者:大ママ 投稿日:2000/05/11(Thu) 11:37

その言葉はいつも幼稚園の先生が息子に言ってくれている
言葉です
『自閉症のあなたでいいの』

息子はいい先生にめぐりあってよかった!!


[583] Re[577][575]: そもそも 投稿者:nomad 投稿日:2000/05/11(Thu) 11:29

> > 京子が婚約者を自分で治療(?)するなんて……目が点でした。
>
> 生活を共にしながらカウンセリングすること自体が、間違っています。

 いや、全く例が無いわけではないようです。
 資料が手元にありませんのでうろ覚えですが、確か森田式の
治療者が
 「愛を感じろと治療者は言うけど、そんなものは受けたことが無い」
と言うクライアントを養女にして、カウンセリングを続けたという報告
を読んだことがあります。
 これをカウンセリングと呼んでいいのかどうかはかなり疑問ですが。

 確かに同居してのカウンセリングは難しいです。
 逆転移−共依存 というパターンに陥りやすい…ちうか必ずなるから
です。うっかりすると「共に地獄まで」となりかねません。
 もっとも、「カウンセリング」という言葉を取っ払えば「家族」にな
るだけなので、お互いがもたれ合い、補完し合ってみんなシヤワセなら
それでいいじゃん。とも思います。職業的治療者にはなりえませんが。


[582] Re[580]: わがままとこだわり 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/11(Thu) 11:27

>言葉で表現できる以上のことを頭の中で考えて(これは非自閉児でもあるそうですね)いて、その思考と言語能力との間の落差が極端に大きかったのかも知れません。そう、言葉そのものの遅れより、この落差が大きいことの方が問題だったのかも知れません。大変なフラストレーションでした。
>
> とにかく自分が必死にこだわろう、主張しようとすることが、ことごとく「わがまま」の一言で片付けられてしまう。自分の頭の中では完全に論理的に整合してるのに、です。あの無念な気持は忘れることができません。
>
自分の訳した本を宣伝するようになってしまってはしたないのですが(商業宣伝にあたってしまうようなら、削除してくださいますか>sipponaさん)、

この話は、グニラ・ガーランドの自伝、「ずっと『普通』になりたかった」の前半、グニラが子どものころの章に、くり返し出てきます。訳しながら、フラッシュバックに苦しむほどでした。本当に、パニクりながら仕事したなんて、初めてでしたよ(爆)プロらしくもない(爆)


[581] Re:[580] わがままとこだわり 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/11(Thu) 11:21

そうそう、その小学校時代、どういう訳かたった一人、私を理解しててくれそうな人がいました。
それは同じクラスのB君という男の子のお母さんでした。B君のお母さんは私から見れば上品で、インテリで、私にすればそれはそれは高嶺の花(?)のような存在だったのに、なぜか私のイカレた母親と気が合うらしく、よく会って話をしていました。そのB君のお母さんが私に「今のままでいいんだよ」としきりに言ってくれるのです。私は「本当にいいの?」と何度も聞いていたのをよく覚えています。

私を肯定してくれる人がいる!これにはすごく励まされました。

このお母さんとは小学校卒業後もちょくちょく文通をしていました。
私が大学生のときだったかな?突然「ここにあなたがいるわ」と言って一冊の本を送ってくれました。
黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」でした。


[580] わがままとこだわり 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/11(Thu) 11:05

少し前の如月さんの書き込み:
>不可解で理解できない行動は、見守っている人たちには悩ましい問題です。しかし、人間も生き物ですから、精神を病んでいたりしない限り、自分の生存にとって有利に働かないことや、無意味なことはしないものです。そうであると固く信じています。不可解な行動にも必ず理由があり、理由がわかった場合には、それならばそういう事もするだろうなと、納得がいくものです。理由を確かめられない場合の多さが難点ではありますが、この子の行動は正しい、論理的には矛盾していない、と信じてみるのも無駄ではないと思います。

子供の「こだわり」と「わがまま」の違いを見極めるのは、バリバリの本人である私にとっても難しいことですが、非自閉の親御さんよりは少しは簡単にできるな、と思っています。自閉症者としての直感がありますから。ただ正真正銘の「こだわり」でも、他の子がそれで損をしたり、迷惑をかけるようなことだけは戒めています。ここで線引きをしておかないと、周囲からは何もかも「わがまま」と捉えられてしまいますからね。
私がそうでした。
私は表出言語は保育園時代に遅れを取り戻しましたが、実は、自分の考えを有効に相手に伝えるという意味においての言語が本当に機能するようになったのは小学校5年のときだったのです。それとも、言葉で表現できる以上のことを頭の中で考えて(これは非自閉児でもあるそうですね)いて、その思考と言語能力との間の落差が極端に大きかったのかも知れません。そう、言葉そのものの遅れより、この落差が大きいことの方が問題だったのかも知れません。大変なフラストレーションでした。

とにかく自分が必死にこだわろう、主張しようとすることが、ことごとく「わがまま」の一言で片付けられてしまう。自分の頭の中では完全に論理的に整合してるのに、です。あの無念な気持は忘れることができません。


[579] Re[571]: RE:[568] ジョークの自閉・非自閉格差 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/11(Thu) 10:26

> ビーンのビデオでギャグを覚えて、何度も酒の席でやってました。
> そのうち「もうわか〜った」といわれるんだけどね。
>
これなんですよねー、自閉と非自閉を分ける格差は。

自助団体で成人本人ばかり集まって、「ユーモア感覚」についての座談会をやったときも、これが話題になりました。

非自閉者は、一つのネタが長持ちしない。なんであんなに飽きっぽいんだ? 30回くらいくり返してからが、いいところなのに。ぼくらがまだ盛り上がらないうちから、「まだ言ってるのか」って言い出すんだ。

そんな話になったのです。あちらからもこちらからも、うんうん、まったくだ、という声が上がります。

逆に言えば、私たちは、「ネタが長持ち」する人種なのです。ユーモア感覚がないわけではないのに、ユーモアの時間尺度が健常者とは違うために、文化的に差別されていると言ってもいいんじゃないでしょうか。


[578] それから、 投稿者:ペンギン 投稿日:2000/05/11(Thu) 09:34

本人と治療者の間には信頼関係が必要ですが、心理的距離に配慮しない治療者はいないと思います。それは、本人にとって、とっても危険なことだからです。
どちらの番組のプロジューサーも、その肝心なところを読み違えているように思います。


[577] Re[575]: そもそも 投稿者:ペンギン 投稿日:2000/05/11(Thu) 09:06

> 京子が婚約者を自分で治療(?)するなんて……目が点でした。

生活を共にしながらカウンセリングすること自体が、間違っています。


[576] きゃは! 投稿者:megumi 投稿日:2000/05/11(Thu) 08:48

>「いち、にー、さん、ごー、.......ちが〜〜う!」
こういう、一人ボケつっこみ、うちの子もよくやってましたよ。

彼の最近のヒット作、
「ぬきあし、さしあし、き***ばし」(き***ばし=近所の駅)名)

こう言いながら、実際「抜き足差し足」職員室に連絡帳を持っていって、
先生方に大受けだったようです。


[575] そもそも 投稿者:megumi 投稿日:2000/05/11(Thu) 08:43

京子が婚約者を自分で治療(?)するなんて……目が点でした。

もしああいう人が本当にいるのなら、
私もあのカウンセラーには関わりたくはないですね。
変。


[574] カンガーさん 投稿者:ままはっち 投稿日:2000/05/11(Thu) 08:36

>「いち、にー、さん、ごー、.......ちが〜〜う!」

これは高度なテクニックじゃないですか・・・。
ルーちゃんユーモアのセンスありますよ!!


[572] Re[568]: ジョーク好きの言葉遊び 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/11(Thu) 06:24


>
> イカンガーにはもちろん似ていないカンガーさん、
> こんな遊びはどうでしょう?


これなら、少しいけるかもしれません。
駄洒落はむずかしくて、とてもまだ無理だけど。
よく、自分でわざと間違えて、「ちが〜〜う」とか自分で突っ込み入れたりしてるから。

昨日もお風呂の中で、「120まで数えて出ようか」っていったら、「いち、にー、さん、ごー、.......ちが〜〜う!」とか言ってふざけてましたから。


> 言葉も大切ですが、ジョークなども理解できれば人間関係も
> 少しは円滑にいくのではと、こんなことばかりやってます。

> 自閉だからと言って、ジョークやお笑いが身に付かないというものでは
> ないと思うのです。
> ジョークやお笑いセンスも幼い頃から覚えさせれば身に付くと
> 思います。
> ジョークやお笑いも、うちの子はパターンで覚えました。
> が、悲しいことに、言葉の訓練や、行動の訓練などなどに時間を取られて、そこまで手が回らないのが現状なのでしょうね。


そうですね。
ジョークがわからないと、確かに人間関係うまくいかないこともあるでしょう。
そして、それを教える余裕がないのも、事実です。


[571] RE:[568] ジョーク好きの言葉遊び 投稿者:スージー 投稿日:2000/05/11(Thu) 02:30

うちのボーズのカリスマは、Mr.ビーンと
古今亭志ん輔(NHKのお母さんと一緒に出ていたおっさん)です。
ビーンのビデオでギャグを覚えて、何度も酒の席でやってました。
そのうち「もうわか〜った」といわれるんだけどね。

前はビーンのパントマイムだったけど、今は志ん輔さんの
「言い方」を真似たり、駄洒落を言ったりして、普段に生活にも
立派に応用しています。

将来は物まね系のお笑い系かな?
夢はジャニーズだったのに・・・踊りはさっぱりダメだから。


[570] ドラマの話 投稿者:ままはっち 投稿日:2000/05/11(Thu) 01:55

天使・・・の、酒井法子演じるところのカウンセラーが
私にはさっぱり理解不能です。
会社でどんなお仕事をされているのでしょう?

私ならあのカウンセラーにはかかりたくありません。
なんか症状が悪化しそうです・・・。

カウンセラー協会(あるのか?)から、
クレームは入らないのかしら?
もう少ししっかりしろ・・・なんてね。

 
*のりピーファンのみなさんごめんなさいね。
  べつにのりピーが悪いのではありませんから。


[568] ジョーク好きの言葉遊び 投稿者:ままはっち 投稿日:2000/05/11(Thu) 01:42

>「本体に乗ったり、振り回したりしないでください」

イカンガーにはもちろん似ていないカンガーさん、
こんな遊びはどうでしょう?
うちはよくこんな遊びをしてました。

子:「本体に乗ったり、振り回したりしないでください」
親:「え?車に乗ったり?」
子:「・・・・・・・・」
親:「え?象に乗ったり?」
子:「・・・・・・・・」
親:「え?ラクダに乗ったり?」
子:「違うよ。ク・ル・マ。」

うちの子どもは最初はこちらがジョークで言っているとは
思わないので面食らっていましたが、徐々にこれはお母さんが
ジョークを言っているんだということを理解してきました。

言葉も大切ですが、ジョークなども理解できれば人間関係も
少しは円滑にいくのではと、こんなことばかりやってます。
そのせいかどうか、うちの息子は去年クラスのお笑い係で、
駄洒落や瞬間芸を朝の会や終わりの会で披露してました。
参観日にも一度見せてもらいましたが受けていました。

自閉だからと言って、ジョークやお笑いが身に付かないというものでは
ないと思うのです。
ジョークやお笑いセンスも幼い頃から覚えさせれば身に付くと
思います。
ジョークやお笑いも、うちの子はパターンで覚えました。
が、悲しいことに、言葉の訓練や、行動の訓練などなどに時間を取られて、そこまで手が回らないのが現状なのでしょうね。
そしてまた日本の療育現場では、まだそういうジョークセンス療育の必要性が認められていないのでしょうね。
冗談なんか嫌いな人が多いのかも。


[567] おもちゃが壊れちゃう 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/10(Wed) 23:34

といえば、昔、ソースのコマーシャルでありましたね。

「ちゃーちゅーちょーこぶ、ちゃちゅちょこぶー」っていうのが!


[566] イカンガーは、 投稿者:ペンギン 投稿日:2000/05/10(Wed) 23:18

かんがえるー、カンガルー、と言うよりも「いかんなー」じゃない?


[565] Re[561][554][550][547][542][538]: 幼稚園児 投稿者:如月 投稿日:2000/05/10(Wed) 21:22

> イカンガーは、確かに強い人でした。

かんがえるー、カンガルー、でもイカンガーが語感的に一番近い、と思っていました。普通の人は、あまりそういう方向の発想をしないのでしょうかねえ。「おもちゃが壊れちゃう」は、なんともいえず響きが素敵に聞こえました。老人性痴呆症になったとしても、忘れないのではと思います。


[564] Re[532]: 脱線! 投稿者:如月 投稿日:2000/05/10(Wed) 21:07

> が〜ん、これって悪い癖だったんですね。私、この癖治りません(笑)。

 それは間違いなく悪い癖で、十中八九、裏目に出るのは今までの経験からも証明されています。わかっていながらやってしまい、否定的な反応が返ってこなかったのは、今回が初めてかもしれません。得にはならないとわかっていながら、何故か止められない事は他にも幾つかあります。その傾向は、こだわりの一種と簡単にかたずけられてしまいますが、その言葉だけではかたずけられないものがあると思っています。小学校の四年生の時だったか、筆算というものをやり始めて、こんな問題をよくやらされました。
         35
        +49
       ____
         84
私の感覚でいくと、+49の下に引く線は、存在することに意味があるものなので、定規で真っ直ぐに引こうが、手でぐにゃぐにゃに引いてしまおうが、完全に同じものです。ある時、これは定規で引かなくてはいけないのだと随分うるさく言われ、一、二度引き直したのですが、結局今にいたるまで、ぐにゃぐにゃに引いています。良く言われる、こだわりというものは、きっとこの線のようなものに、必要以上に固執することを指しているのだと思います。しかし、経験的に得にはならないとわかっていることを敢えてする場合と、この線のように、存在に意味があるのだからと、突っ張る場合には少し違いがあります。こだわりにも種類があるという言い方が、こだわっている人の発想だと言われそうだけれども。
 線の方ならば、何とか定規で引くようになれても、損してでもやるぞという方は抵抗できない力のようなものがあって、自分の力の及ぶ範囲を超えてしまっています。いま流行の「天声」というものは、空の上のほうから聞こえてくるらしいけれど、この逆らえない力は体の中の方から、聞こえて来ます。聞こえるという表現は、神懸り的であまり好きではないのですが、かなり近い部分があるのでそう表現します。それは、本能的な力というか、ユングの言う無意識に近い所から来るものだと思います。
 高機能と呼ばれる人たちの自伝を読んでいると、絶対的な約束事というような言葉で、これに良く似た記述を見つけることができます。キリスト教が確固とした基盤を持っている、アメリカや欧米の文化圏に育った人ならば、それは神との約束だからという言い方で、本人も回りの人も納得できるでしょうが、日本人にそんな概念はないし、私もキリスト教徒でもないので、そんなところに理由を求めることはできません。
 あれこれと考えてみて、ある程度まで納得できるようになったのは、それが自己防衛の本能ではないかという、答えです。自閉症スペクトルに関係する人は、あまり体が丈夫には出来ていないようです。様様なことにすり減らすエネルギーが多すぎる、ということを差し引いても無理がきかず、自分のことを考えるとタガの緩んでいる桶のようなものです。本能的に、タガが外れて底板と側板だけになる危険を常に感じていて、意識というものがまだ芽生えていない小さな子供の時から、それだけは避けようと色々な方法を編み出していくような気がします。
 こだわりと呼ばれる行動も、私はあまりしませんが(多分)、色々な本を読んでみると体に対する実利的なものと、精神の安定用の二つが、危険回避のためにあるような気がしました。意識とか自我というものが育っていない時から、本能的に無意識の力で自分の生存にとって好ましい状況を作ろうと、ない知恵を絞っているように思えます。
 世渡りという観点からは、得にならないと経験的に知っていることであっても、タガが外れてしまう危険よりは遥かに小さいので、過去に集めたデータの教える方向を無視して、本能的な力の方を優先するのです。普段はそれほどに頑なではなく、例えばレストランでは列に並んで待つものだと知れば、その後は普通の人以上にその規則を守るような性格でありながら、些細に思える筆算の線のようなものに異常に固執する一つの理由に、壊れやすい自分を守るための過剰な防衛本能がある、と思うのです。
 筆算の線ごときが、どうして存在の基盤を脅かすものなのかは、わかりません。ここで後ろに引いてしまったら、全てのものが瞬時に崩れ去っていくような危機感を感じるから、普段は大人しいくせに、頑として譲らないのです。それは、世間的な損得を無視してまでやろうとする行為よりは軽いものなので、ある程度の経験が積まれてくれば、これぐらいならいいかと頭で判断して、常識に合わせることも可能です。しかし、子供の場合、そんな判断はできないので、危険を感じてしまうすべての事に、全力で拒絶の態度を取るのでしょう。自分の存在自体をてんびん秤の片方に乗せて、筆算の線のようなものと釣り合わせようとしている姿は、理解できる範囲を超えていますが、たぶんその子にとって、その子の感覚では釣り合うものだから、考えられないぐらい強情に頑張るのだと思います。誇張ではなく命がけなのです。
 不可解で理解できない行動は、見守っている人たちには悩ましい問題です。しかし、人間も生き物ですから、精神を病んでいたりしない限り、自分の生存にとって有利に働かないことや、無意味なことはしないものです。そうであると固く信じています。不可解な行動にも必ず理由があり、理由がわかった場合には、それならばそういう事もするだろうなと、納得がいくものです。理由を確かめられない場合の多さが難点ではありますが、この子の行動は正しい、論理的には矛盾していない、と信じてみるのも無駄ではないと思います。


[563] Re[557]: 音の語感に反応 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/10(Wed) 20:46

> リンコさんは、新造語をつくったりされませんか?

いまいちダメっすねー。いや、いまいちどころか、サッパリなんです。

オリジナリティーないんですよ。あくまで、「聞いて(読んで)反応」です。ひたすら、アリモノの言葉の音を味わう一方です。生産せずに鑑賞する人。夫婦そろってそうです。

ダジャレもダメです。ただ、食品や雑貨の「たいそうな商品名」などを、わざわざ省略せずにフルネームで読む。それで笑い転げています。「あの天日結晶塩使用アーモンド、もうないのー?」とか、「あっ、こんなところに天然塩海人の藻塩使用ピスタチオ食べきり少量パックがある!」とか(おつまみ系ばかりですみません)。

単語の意味よりも単に発音、それも、単語全体の発音よりも一部分の発音の方に心を引かれてしまうのです。特に、「チャ行」や「ニャ行」の音素に弱い。

引き合いに出して申し訳ないけど「おもちゃが壊れちゃう」なんての聞くと、一文の中に「ちゃ」が二つも含まれているため、意味内容そっちのけでエコーしちゃったりするかも。

夫の数年来のお気に入りは、「煮えにくい肉」です。あと、給料袋(といっても明細しか入ってないんですが)を差し出すときは、必ず大きな声で、「きうよ!」と言いながら出しますね。一度たりとも「きゅうよ」と言ったことがない。袋にでかでかと「給与」と印刷してあるのを「読んでいるだけだ」と言うのですが。「きゅうよ」ではなく「きうよ」と発音するのがタノシミなのです。

ただし、袋の「給与」と印刷されている方を上向けにして出さないと、私が混乱するので、夫は気をつけて出してくれます。無言で出すのであれば、裏が上でも何の問題もないのですが、「きうよ」と発音しながら裏が上だと、私が奇声を上げて頭をかかえてしまう(時に、軽く暴れることもある)のは、自分でも不思議です。

「ぎゅうにゅう」は「ぎうにう」、「じゅういちがつ」は「じういちがつ」と発音するのが楽しいので、ときには、無理してでも好きな単語の入った文を使おうとします。たとえば、9月に休みが取れるけど旅行に行こうかという相談をするのに、「じうがつの前の月に、」と言ったり、最初からコーヒーにするつもりなのに「コーヒーにしようかな、コーヒーぎうにうにしようかな」などと言ったりします。

たわいない遊びですが、これも、「全体より部分が優先」の一つの現れなのかもしれません。


[562] Re[558]: >「イカンガー、いかんがー」 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/10(Wed) 17:40


> カンガーさん、ルーちゃんももう少し大きくなれば
> ギャグで笑わせてくれるようになりますよ。
> 言葉に興味のあるお子さんでしょうから。
>
いや〜〜、ままはっちさんのところは、実に高度ですね、素晴らしいですね。
驚きました。
駄洒落が言えるというのは、言語能力が相当高くなければ無理ですよね。
アスペではないと言われているルーには、無理じゃないかなあと思ってしまいます。

そんなふうになってくれたら、どんなにいいだろうとは思っていますけど。
言葉の理解はどんどん進んで、状況判断能力もついてきても、表出言語っていうんでしょうか?これがなかなか伸びないんです。

物の注意書きが好きだから、言葉に興味があるのかもしれないってことですよね。
今までそんなふうに考えたことなかったから、新鮮です。
駄洒落を言える可能性も少しはあるかしら。
少し希望がわいてきました。


[561] Re[554][550][547][542][538]: 幼稚園児 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/10(Wed) 16:57

> > 「イカンガー」。懐かしいですねえ。
> > しかし、かっこいい人ならいいけど、ひどいじゃないですかあ〜〜。
>
> そうか、イカンガーって、かっこ悪かったのか。知らなかったです。
>
> 人の顔がよくわからない私は、「名前を連呼される」→「強いのであろう」→「本業で業績をあげている」→「かっこいい」という公式しかないのね。私にとっては、「しごとのできるひと」=「かっこいい」なのでした。

イカンガーは、確かに強い人でした。
走りはかっこよかったです。
でもね〜、顔がね〜〜。(ああまた笑いが止まらない)。

>
> ちなみに、うちの夫などは、健常者のくせに見どころがあるというか、自閉的センスのわかるひと(自閉界のジョークでは「高機能健常者」といいます)で、缶詰のラベルやレトルト食品の調理法なんかを、面白おかしく朗読してくれます。ふたりでビール飲みながら、「ひー、苦しい」なんて毎日大笑いして暮らしています。

すごく素敵ですね。
良い話しを聞かせていただいて、もう本当に幸せです。
ずっと前に書き込んだけれど、ルーの将来に結婚という文字はないと思ってきたから(あの時も書いたけど、別に結婚だけが女の幸せだと思っている訳ではありません)、自閉症であっても、幸せな結婚をされている方がいるということは、親にとって大きな励みです。
先日もこの4月から、新しく訓練会に入ってきた、高機能自閉症の女の子のお母さんに、「自閉症でも結婚されている方もいるんですよ」ってお話したら、ものすごく驚いて、めちゃくちゃ喜んでいらっしゃいました。


> > > ルーちゃん、めちゃくちゃ頑張ってるじゃないですかー。小さい身体で(大きいかもしれないけど、見ていないけど)、ものすごく緊張して、背伸びして、気を張ってるんじゃないでしょうか。
> > >
> > > ほんとに、がまんしてがまんしてがんばってるんでしょうねー。
> >
> > Lingkoさんにそう言われると、「心が痛い」ですね、とても。
> > 私は子供に、「我慢させている」「無理をさせている」親だと、責められているように感じます。
> >
> いや、親に強いられてガマンするわけじゃないんです。
>
> どんな子どもさんだって、健常といわれる子どもさんだって、集団に入ったら、ガマンしてますよね。おうちではワガママな子が、園ではどんなにひどいかと思って、懇談のときにおそるおそる先生にきいてみたら、意外なまでにおりこうにしていたり、っていうような話は、健常児のお母さんからも聞きます。
>
> そうやって、集団の力に育ててもらうんでしょうね。
>
> 背伸びして伸びる。これは、しんどいものであると同時に、誇らしかったり、気持ち良かったりもするんですよね。

今、カンガーはイカンガーの顔になっています。
イカンガーの顔がわからないと、わからないでしょうが、くしゃくしゃの顔で泣いているという意味です(イカンガーさんには怒られそうですが、彼はそんな顔です。)
この話がはじまってから、(もしかすると、もっと以前から)高機能自閉症独特の困難さを理解せずに、子供に無理ばかりさせるひどい親だと、責められ続けているように思っていました。
ものすごく、ほっとして、肩の力がぬけました。


> > やはり、どこか無理をしていて、辛いのだろうなと思うのですが、何もしてやることができません。
>
> お話を読んだ感じでは、かなり使い分けが出来てるみたいじゃないですか? 私なんて4歳っていったら、言葉はぺらぺらしゃべっていたし会話は成立していたくせに、まだなーーーーーんにも状況なんか見ていなくて、私と比べたらルーちゃんなんて雲の上ですもの。

言葉をぺらぺらしゃべって、会話が成立するなんて、こちらからみれば、雲の上のそのまた上です。
うちが、アスペと診断されないのは、知能指数が高くても、言葉の遅れがひどいからと医師にいわれました。


> 「おうちでびろーーん」の値打ちは、地味なだけに、本人は気がつかなくて当然です。だけど、いよいよシンドくなってきたときに、急に「おうちではびろーーん」をやろうったって、間に合わないでしょ。「おうちではびろーーーん」は、ふだんから習慣として組みこんでおいたら、いよいよしんどくなってきたときに助かるんじゃないでしょうか。
>
> お家へ帰ったら、でへでへとだらしなく遊ぶもの、とか(笑)

おうちでびろーーーんですね。
主人がいる時は、本当にそんな感じなんですけど。
やっぱり私は少し口うるさいかもしれません。
外で緊張した分、緩めてやるように心がけたいと思います。
ありがとうございました。


[560] Re[552]: カンガーさんへ 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/10(Wed) 16:00

シッポナさん、ごめんなさい。
カンガーはこっちでお勉強中で、そちらに行けずにいます。
ゴールデンウイークの箱根旅行のこと、個人面接の事など、いっぱい報告があるんだけど。
不器用でいっぺんにたくさんの事できなくて。
おまけに時間もそんなにないしね。
ルーの事ほっておいてばかりって訳にもいかないし。
でもおかげさまで、とっても良い勉強ができて、私は幸せものです。



> でもルーちゃんにとっての『会話らしきものへの練習』の時期に入ったのかもしれない。
> 何か興味の有ることを言ってそして相手から色んな?答えが返ってくる。
> 私の娘も上記のことを繰り返し繰り返しそうしてやっと会話が運べるようになってきたので。

もし、そうだとしたら、うれしいんだけど。
でもそうだったら、「そうだね」とか「へーそうなんだ」なんて言ってちゃいけませんね。

さっき、「本体に乗ったり、振り回したりしないでください」と新しいフレーズを言ってきたので、さっそく、「どうして乗ったらいけないの?」と聞き返してみました。
「.......沈黙.......」
「おもちゃがこわれちゃうからでしょ?」
「こわれちゃうから」
「そうよ、上に乗ったらこわれちゃうでしょ?」
こんなのも、ときどき入れてみようかしら。

>
> 私も段々変化しています。
> 「伝えて欲しい」というのはずっと前から娘への課題として有ったのですが
> やはりどうやらここが彼女には難しいらしいということが私の中で明確になってきたので
> (ここの掲示板での論議を見る前から)
> まあゆっくりやっていこうと思っています。
> 知って理解しようと歩みよりそして解決の方向に向けて努力していく、時にはペースをゆるめたりしながら・・・。
> これが私なりに得た療育方法です。

私も少しずつ変化していくのでしょう。
焦ってもしかたないことはわかっているつもりですが(実はわかっていないのです)。
まだまだ修行も勉強も足りないようです。


[559] ウィルス 投稿者:如月 投稿日:2000/05/10(Wed) 15:33

 今話題になっている、アイラブユーウィルスに関して、新聞などに出ている注意には大きな間違いがあり、実際にはメールを受けたほとんどの人が被害を受ける可能性がありますので、簡単に説明します。
 メールに添付されている「vbs」という拡張子(ファイル名の「.」の後ろにある三文字)のついたファイルを実行しなければ被害はないという書き方がされていますけれども、通常の使用状態では本人に実行したという認識がなくても実行されてしまいますので、被害は起きます。
 普通にプロバイダーに接続してメールのチェックをすると、新しいメールが二通きています、というような表示が出てくると思いますが、使っているメールソフトによっては、この段階で既にウィルスに感染してしまいます。よく使われている、マイクロソフトのアウトルックなどが一番危険で、プログラムの設定にもよりますけれど、ここまでで被害の出る可能性が非常に高くなっています。
 私はアウトルックを使っていないので、立ち上がった時の画面がどうなっているのかは詳しくわかりませんが、未読メールのプリビューが出たりすると、その段階でメールの中に入っているvbscriptが起動して悪さをしてしまうので、本人はメールを読んでいないから大丈夫と思っていても、被害は起きてしまうのです。
 被害を防ぐためには、アウトルックのオプション設定で、vbsの自動実行をしないように、設定を変えておくしか方法はないらしいです。アウトルックがインストール済みのパソコンを持っている人の場合、自動実行をするように最初は設定されていますので、メールが来ているとまず被害にあってしまいます。
 ホームページを持っている方は特に要注意ですし、読まなければ大丈夫とか、vbsの実行をしなければ大丈夫、という保証もありませんので注意が必要です。そうはいっても余程の専門家でもない限り、何をどうすればいいのかはわかりません。私も素人ではないのですが、詳しい人に確かめてみたらそんなに甘いものではなかったので、驚いてしまいました。
 最近のメールソフトならば、アウトルック以外でもvbsの自動実行の可否はユーザーが設定できるはずなので、マニュアルを見るなりメーカーに聞いてみると、わかるかと思います。便利さと引き換えに、危険もメールと一緒に電話線を流れてくる時代になりました。21世紀に、コンピューターの知識は必要不可欠になるのでしょうか。それならば、コンピューターと相性の良い自閉症スペクトルに関連する人は、有用な人材と見直されるのかな。


[558] >「イカンガー、いかんがー」 投稿者:ままはっち 投稿日:2000/05/10(Wed) 13:19

先に言われてしまいました・・・「イカンガー、いかんがー」。

うちの息子(小3)も「駄洒落オタク」で、
「ふとんがふっとんだ〜〜」
「このお肉、にくいね〜〜」などと何時も言っていて、
家族で駄洒落大会によくなります。

うちは昔から「お笑い療育」を心がけていて、
いろんなギャグをやって笑わせてきました。
私は毎日「吉本」を見ながら育ったせいか、「笑わす」ということが大好きです。(外ではあまりやりませんが・・・)
例えば、息子が「コップ取って」というと、
わざとポットを渡すとかいうギャグは年中してますし、
笑いながら息子は「ちがうって!!」というツッコミを入れてくれます。
あと物を見てそれでダジャレを言うなども遊びでよくしてます。
とくに寝る前にベッドの中でやるので、
息子は枕を手に「お先まっくら〜〜」とか言っています。

カンガーさん、ルーちゃんももう少し大きくなれば
ギャグで笑わせてくれるようになりますよ。
言葉に興味のあるお子さんでしょうから。


[557] 音の語感に反応 投稿者:おサルのジョージ 投稿日:2000/05/10(Wed) 12:34

する、、、、
ドラマとはちょっと、はなれますが
ジョージ父も新種の言葉を作るのがだいすきで
ジョージの呼び方はこの間かぞえたら
十種類ぐらいありました
新造語を作るのが、すきなんです
そのせいで、うちの家族には、家族にしか通じない
単語がたくさん生き残っています
ジョージが生まれる前は夫婦ともども普通のふりを
していきていたのですが(十分普通でもあるのですが)
ジョージが反応してくれるので、小さいときから
我慢してきた駄じゃれ魂みたいなものがよみがえって
来てしまったようです

そういえば、むかしうちの地方(日本のジョークシティ)
では、「イカンガー、いかんがー」
というギャグ?がはやりましたよ
なつかしくて、つい、書いてしまいました

リンコさんは、新造語をつくったりされませんか?
繭子が、何かを定義するように、はなすとき
ああ、こういうところから、新しい言葉も
うまれてきそう、、、といつも思っているのですが


[556] あ、リンコさん 投稿者:とら 投稿日:2000/05/10(Wed) 10:43

イカンガーは、私にはカッコイイ人です。
外見は覚えていませんが、走る姿と他を引き離す圧倒的な走りは強烈でした。
>「名前を連呼される」→「強いのであろう」→
>「本業で業績をあげている」→「かっこいい」という
>公式しかないのね。私にとっては、「しごとのできるひと」
>=「かっこいい」なのでした。
これ、わりと男の世界では普通です。というか男が男を見る場合。
ま、逆に女性を見る場合に「素敵な人」といったら中身よりも外見を中心に話をしてしまうのは男のサガだからオアイコですが。


[555] Re[549][546]: 書こうかどうか迷いましたが 投稿者:とら 投稿日:2000/05/10(Wed) 10:38

> 自閉症でも、そうじゃなくても、子供のしつけは必要だと思ってしまうのです。
> 少しはがまんもさせないと.......と思ってしまうのです。
> だって、子供って、わがままで、うるさくて、でも、いろいろ教えてもらって、時には叱られて、学んでいくものでしょう?

これに対する回答は以下のように考えれば良いのではないでしょうか。
自閉的特徴以外の言動に対しては普通のしつけを、
自閉的特徴に基づく言動に対してはある程度寛容に。

もちろん見極めは難しいかもしれませんが、例えば友達のおもちゃを取ってしまうようであれば普通のしつけ、標語の復唱なら寛容のような感じでしょうか。


[554] Re[550][547][542][538]: 幼稚園児 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/10(Wed) 09:39

> 「イカンガー」。懐かしいですねえ。
> しかし、かっこいい人ならいいけど、ひどいじゃないですかあ〜〜。

そうか、イカンガーって、かっこ悪かったのか。知らなかったです。

人の顔がよくわからない私は、「名前を連呼される」→「強いのであろう」→「本業で業績をあげている」→「かっこいい」という公式しかないのね。私にとっては、「しごとのできるひと」=「かっこいい」なのでした。

> あんまりだ〜〜〜!!。
> といいながら、さっきから笑いが止まりません。
>
ごめんねー(笑) 音の語感に反応するから、こうなっちゃうんですよー。これも自閉のお楽しみっていうか、アスペに生まれて良かったなあって思う部分ですけどね。

ちなみに、うちの夫などは、健常者のくせに見どころがあるというか、自閉的センスのわかるひと(自閉界のジョークでは「高機能健常者」といいます)で、缶詰のラベルやレトルト食品の調理法なんかを、面白おかしく朗読してくれます。ふたりでビール飲みながら、「ひー、苦しい」なんて毎日大笑いして暮らしています。

> > ルーちゃん、めちゃくちゃ頑張ってるじゃないですかー。小さい身体で(大きいかもしれないけど、見ていないけど)、ものすごく緊張して、背伸びして、気を張ってるんじゃないでしょうか。
> >
> > ほんとに、がまんしてがまんしてがんばってるんでしょうねー。
>
> Lingkoさんにそう言われると、「心が痛い」ですね、とても。
> 私は子供に、「我慢させている」「無理をさせている」親だと、責められているように感じます。
>
いや、親に強いられてガマンするわけじゃないんです。

どんな子どもさんだって、健常といわれる子どもさんだって、集団に入ったら、ガマンしてますよね。おうちではワガママな子が、園ではどんなにひどいかと思って、懇談のときにおそるおそる先生にきいてみたら、意外なまでにおりこうにしていたり、っていうような話は、健常児のお母さんからも聞きます。

そうやって、集団の力に育ててもらうんでしょうね。

集団とは関係ないけれど、私は、仕事をするようになってから、「一度見栄を張ってしまって、後で中身をそれに追いつかせる」ということをするようになりました。だって、フリーだから、見栄を張らないと、注文さえとれないんですもの! ところが、私は新発見のつもりでいたのに、みんなはこんなこと、もっと若いうちからやってるものだと人に聞かされて、そうだったのかーなんて思ったものです。

背伸びして伸びる。これは、しんどいものであると同時に、誇らしかったり、気持ち良かったりもするんですよね。

> やはり、どこか無理をしていて、辛いのだろうなと思うのですが、何もしてやることができません。

お話を読んだ感じでは、かなり使い分けが出来てるみたいじゃないですか? 私なんて4歳っていったら、言葉はぺらぺらしゃべっていたし会話は成立していたくせに、まだなーーーーーんにも状況なんか見ていなくて、私と比べたらルーちゃんなんて雲の上ですもの。

私みたいに、状況が見えていなくて使い分けさえできてない子ならともかく、使い分けはもう知ってるようですから、あとは、「家ではびろーーーーん」とさせてあげるのが一番じゃないでしょうか。だって、王子さまがいては、でれーーーっとできないでしょう。家では、王子様がいないから、どんなだらしない格好もできる。

>だけど、幼稚園へ行くのは大好きなんですよ。

おすましして、背伸びしている「ちょっとかっこいい自分」も好きなんでしょう。

「おうちでびろーーん」の値打ちは、地味なだけに、本人は気がつかなくて当然です。だけど、いよいよシンドくなってきたときに、急に「おうちではびろーーん」をやろうったって、間に合わないでしょ。「おうちではびろーーーん」は、ふだんから習慣として組みこんでおいたら、いよいよしんどくなってきたときに助かるんじゃないでしょうか。

お家へ帰ったら、でへでへとだらしなく遊ぶもの、とか(笑)


[553] 8才の子の苦悩 投稿者:megumi 投稿日:2000/05/10(Wed) 09:32

>本当に緊張して、背伸びして、気を張ってがんばっていました。
>「普通の子供に見えるようになりたい」ってね。

今、うちの子供はそういう気分なのだと感じています。

「にんげんゆうゆう」を見ていて、また、「僕のこと?」と
言いました。特命リサーチ200Xを見て、同じことを言ったとき以上に
自分が他の人と違うことをわかりはじめているようです。

「母さんも子どもの頃はtakumiと同じように***したよ。」と
話すと、「お母さんも僕と同じ!!」と、とても嬉しそうです。

私の記憶は写真のようには残りません。
多分、体験したことを(良いことも悪いことも)自分に必要な部分だけ自動的に「意味」にして保存しているのだと思います。
再生されるのは「意味」から導かれる場面ですから
再生するたびに恐らく変形しているのでしょう。

時々、何年も前のことに怯えて泣き出すtakumiとは脳の構造が違います。

でも、同じこともある。同じこともあるのに、
どうしても違うところにばっかり目がいってしまうのは
親も子も同じだったのかも知れないなぁとちょっと切なくなりました。

共通部分と違うところ、
この掲示板で皆さんの書き込みを読ませていただいて
またいろいろと考えています。

takumiはまだ、言語表現がつたないですし、
本人にも弟にも先生や友人にも「同じ所と違う所」を
私が話せるようになりたいと思います。

「みんなちがって みんないい」が、詩の中の思いだけでなく
現実の生活の中でも実現するようにしたいのです。

takumiの常同行動は
>本当に緊張して、背伸びして、気を張ってがんばって
>「普通の子供に見えるようになりたい」って
思っているのに、どうしようもなくて出てしまうことです。
これ以上、彼に求めるのは無理だと思います。
これはあきらめではなく、歩み寄り、理解する事だと思っています。


[552] カンガーさんへ 投稿者:sippona 投稿日:2000/05/10(Wed) 08:21

本音を言えばうんざりするようなことだって(主に言動かな、最近だったら)ありました。

その時『これも彼女なりのコミュニケーションなんだ』と歯をくいしばって(本当はくいしばってないけど)耐えました。

具体的に言うと「これなあに?」などの何、誰、いつ、どこなどの質問をすっ飛ばしていきなり
「今日の天気は?」「今日のメニューは?」「どこにいく?」を何度も何度もこればかり聞いてきた頃。
自発の発言自体がかなり少ない時期に、口を開けばこれだったもので。

私の場合まだ「聞かれているんだ」という面で答える事が出来たのが私にとってラッキーであったかもしれません。

でもルーちゃんにとっての『会話らしきものへの練習』の時期に入ったのかもしれない。
何か興味の有ることを言ってそして相手から色んな?答えが返ってくる。

私の娘も上記のことを繰り返し繰り返しそうしてやっと会話が運べるようになってきたので。

私も段々変化しています。
「伝えて欲しい」というのはずっと前から娘への課題として有ったのですが
やはりどうやらここが彼女には難しいらしいということが私の中で明確になってきたので
(ここの掲示板での論議を見る前から)
まあゆっくりやっていこうと思っています。
知って理解しようと歩みよりそして解決の方向に向けて努力していく、時にはペースをゆるめたりしながら・・・。
これが私なりに得た療育方法です。
(私の発言って結構自己完結型よね(笑))


[551] Re[548]: 障害の受容 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/10(Wed) 07:29


>
> 多分、カンガーさんのなかで「障害の受容」がうまくこなれていないんでしょうね。実は私もそれ、すごく分かります。

そうかもしれません。
「障害の受容」ということもあるかもしれませんが、高機能自閉症独特の困難さを、どういうふうに受け止めたらいいのか、育児あるいは療育にどんな工夫が必要なのか、わかっていないのだと思います。


> ルーちゃんのことを読んでると、やっぱり私の小学校時代を思い出します。
> 本当に緊張して、背伸びして、気を張ってがんばっていました。
> 「普通の子供に見えるようになりたい」ってね。

今のルーを見ていると、とても「普通の子供に見えるように.......」なんて考えているとは思えないけど、少し何かは感じているのかもしれませんね。
そして、近い将来きっとそんなふうに考える時がくるのでしょうね。

言葉によるコミュニケーションがなかなかとれないので、ルーの思いを知ることができないのが、辛いですね。


[550] Re[547][542][538]: 幼稚園児 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/10(Wed) 07:12


> 昔、陸上の選手で、「イカンガー」って人がいて、そんなのに似てるなあとか思っていたけど、ちがったんですね。

知ってますよ。
「イカンガー」。懐かしいですねえ。
しかし、かっこいい人ならいいけど、ひどいじゃないですかあ〜〜。
あんまりだ〜〜〜!!。
といいながら、さっきから笑いが止まりません。

ここで断言しておきます。
かけらも、似ていません。(爆)。


> ルーちゃん、めちゃくちゃ頑張ってるじゃないですかー。小さい身体で(大きいかもしれないけど、見ていないけど)、ものすごく緊張して、背伸びして、気を張ってるんじゃないでしょうか。
>
> ほんとに、がまんしてがまんしてがんばってるんでしょうねー。

Lingkoさんにそう言われると、「心が痛い」ですね、とても。
私は子供に、「我慢させている」「無理をさせている」親だと、責められているように感じます。

誤解しないでくださいね。
Lingkoさんの書き込みの内容からではなくて、本人の方がそう書いているという事実から、そのように感じただけです。
本人の方達は、やはりどこかルーの代弁者だという思いが、こちらにはあるので。

幼稚園や、外では、本当にルーは気を張って、がんばっていると思います。
見ていて、痛いときがあります。
(もちろん、まだまだ4才ですから、わがままで、どうしようもない時もあるんですよ。)。

最近、夕方、楽しく一緒に遊んでいたかと思うと、突然しくしくと泣き出して、私にしがみついてきます。
しばらく、抱き締めていると、やがて落ち着きますが、いままでよく起こしていたパニック的な泣きとは、違う様子です。
とても静かに、大人のように、声をださずに、泣いています。

やはり、どこか無理をしていて、辛いのだろうなと思うのですが、何もしてやることができません。
ただ抱き締めて、「大丈夫だよ」って言ってあげるしかなくって。

だけど、幼稚園へ行くのは大好きなんですよ。
熱出してお休みしようというと、「行きたい〜」って泣いて大騒ぎ。
お友達とうまくかかわれないはずなのに、お友達大好きで、絵本をみながら、人物の絵を指差して、クラスのお友達の名前をあてはめて、楽しんでいます。
大好きな男の子もいるようです。
いつも彼が王子様で、ルーはお姫様です。


[549] Re[546]: 書こうかどうか迷いましたが 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/10(Wed) 06:37

> 物の注意書きは聞きたくないのに、いぢめられたら相談してほしいというのは、無理があるのではないでしようか。小さいときに、とてもとても大事な話(物の注意書きや、恐竜や、列車の話)を聞いてくれなかった人に、おおきくなって、大事な話をするひとがいるでしようか。

迷わないで書いてくださいね。
辛口のお言葉も聞く覚悟で、ここに書き込みをさせていただいているのですから。

おっしゃる通りかもしれません。
「人前でやったら、いじめられるのではないか」と心配だから、子供に注意書きを言わないでほしいと思っているのが、一番の理由なんですけれど。
でも、「私が聞きたく無い」、というのも本当です。

ただし、どこかでは言わなければならないのであれば、誰かには聞いてほしいのであれば、私は聞こうと思います。
だから、今も彼女の注意書きのすべてを否定してはいません。
ある程度までは、聞こうと思っています。

私の中で、どこまでこの子の言うことをきいてやればいいのか、よくわからなくなっています。
いくらでも、満足いくまで、毎日、毎日聞いてやれば、それが本当にルーのためになるのでしょうか?

大きな誤解をして、すべての人が、自分の話を、どんな時も、十分に、聞いてくれると勘違いしてしまうのでは、ないでしょうか?

自閉症でも、そうじゃなくても、子供のしつけは必要だと思ってしまうのです。
少しはがまんもさせないと.......と思ってしまうのです。
だって、子供って、わがままで、うるさくて、でも、いろいろ教えてもらって、時には叱られて、学んでいくものでしょう?

やっぱり私は自閉症をわかっていないのですか?
「大切な話」は絶対きいてあげないと、将来相談する気になれませんか?
そういわれると、非常に弱いですねえ。
やっぱり相談してほしいから.......。




[548] 障害の受容 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/10(Wed) 04:19

>物の注意書きは聞きたくないのに、いぢめられたら相談してほしい

多分、カンガーさんのなかで「障害の受容」がうまくこなれていないんでしょうね。実は私もそれ、すごく分かります。

私は娘のこだわりである「紙パリパリ」、聞きたくないんですよ。
聴覚過敏である私の神経にすごく障るのと同時に、その音が「自閉症だゾ〜、自閉症だゾ〜」って言ってるみたいに私には聞こえます。家人には強迫観念だと言ってあしらわれてますが。

ルーちゃんのことを読んでると、やっぱり私の小学校時代を思い出します。話し始めるのは遅かった私ですが、いったん話し出すと大人のように「知的な感じで」しゃべってたそうです。周りの子供から敬遠されました。どうしても「一説ぶつ」かのようにしゃべってしまう。周りから浮いてしまう。なのにどうやっても周りの子のようにしゃべれない。結果的に私は無口になりました。ひどいときはどもってしまうことも。小学校の担任から「子供らしい精彩がない」と言われたそうです。私は子供なりに「子供らしい精彩」の意味を考えました。どうやったら子供らしい精彩のある子になれるんだろう?って。
本当に緊張して、背伸びして、気を張ってがんばっていました。
「普通の子供に見えるようになりたい」ってね。


[547] Re[542][538]: 幼稚園児 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/10(Wed) 01:17

ルーちゃんっておっしゃるんですね、子どもさん。
ああ、プーさんのカンガルーの親子なんですね。それでカンガさんだったのかー。
昔、陸上の選手で、「イカンガー」って人がいて、そんなのに似てるなあとか思っていたけど、ちがったんですね。

ルーちゃん、めちゃくちゃ頑張ってるじゃないですかー。小さい身体で(大きいかもしれないけど、見ていないけど)、ものすごく緊張して、背伸びして、気を張ってるんじゃないでしょうか。

ほんとに、がまんしてがまんしてがんばってるんでしょうねー。


[546] 書こうかどうか迷いましたが 投稿者:まさ 投稿日:2000/05/09(Tue) 22:24

物の注意書きは聞きたくないのに、いぢめられたら相談してほしいというのは、無理があるのではないでしようか。小さいときに、とてもとても大事な話(物の注意書きや、恐竜や、列車の話)を聞いてくれなかった人に、おおきくなって、大事な話をするひとがいるでしようか。


[545] 親と子の理解 投稿者:とら 投稿日:2000/05/09(Tue) 14:59

身体的不自由が有り、例えば足が不自由で杖や車椅子を使用している人がいたとします。「杖の音がうるさい」とか、「車椅子は場所をとるのでじゃまだ」なんて心無いことを言う人はまずいません。
肉親がそうであれば、玄関で靴を履きかえる際にも手を貸してあげるでしょう。例えそれが毎日で、一生続くとしても。
でも子供に常道行動や、不適切行動が有ると、それが他人に迷惑をかけていなくても排除したがるのは何故か...やはり障害と認識していない部分が有るのではないでしょうか。苦痛を伴わない形でそれが排除できるのであればそれは障害ではないわけですから...
「ライ麦畑でつかまえて」の話が出ていましたが、私自身は親と言うのはもっとドライな「足長おじさん」ですらいいように思っています。こうなってくると実は障害のある子供への介入ではなくて、子育て論なんですけどね...


[544] ご挨拶 投稿者:nomad 投稿日:2000/05/09(Tue) 13:30

まず、自閉連邦在地球領事館附属図書館とこのBBSの作者に感謝を。
 ありがとうございました。あなたたちのおかげで私はずいぶん
気が休まりました。ずっと感謝の気持ちを持っていたのですが、
そういえばちゃんとこの気持ちを伝えていなかったことを思い出
して、コレを書いています。

 私の小学校5年になる次男も、どうも自閉スペクトルのどこかに
あるようです。
 どこか普通の子と違うと思い、幼児のころいくつかの病院や
公的施設に診てもらったのですが、はっきりした回答が得られな
かったので、面倒になってそれ以上追求するのはやめました。
 ちゃんと”治療法”なり薬なりがあるのならその甲斐もあるで
しょうが、「様子を見ましょう」とか「気をつけて育てましょう」
じゃあバカバカしいもん。

 なんで、自閉連邦…を見つけたのかはもう忘れてしまいました
が、まあ、これも巡り合わせってことでいいや。うちのコゾウの
心配をしていたから見つけたわけじゃないことは確かですけど。

 みなさんの書いている内容を読んでいると、心当たりのあるこ
とばかり。親の気持ちにしても子供の行動にしても、度合いの大
小は別にして、ああ、そうだったよね。そうだったのね。とずい
ぶん参考になります。

 最近引越しをしたのですが、今朝もあいかわらず独り言を言っ
てるもんですから「ユウキは転校して、まだトモダチができんじ
ゃん」と兄貴に言い込められています。
 こんな時に、むやみに心配したり叱ったりしないで「まあ、ユ
ウキも難儀なんだから、まあ、ボチボチな」という気になれます。

 女房にもプリントアウトしてちょっとだけ見せました。
 彼女は「そんなの追求しても仕方ない」と言いますけど、私は
コゾウの気持ちがちょっとわかるのが嬉しいことですね。
 ほら、授業参観みたいなもんで。日ごろ見えていない行動や
その意味がちょっと違った側面から見ることができる。

 ま、学校や将来のことは確かに心配ではありますが、手が届か
ない所の心配をするよりも手の届く所で付き合っていきゃいいじ
ゃん、と思っております。メンドクサイことや難儀なことはこれ
からもいっぱいあるでしょうけど、それはそれが起きた時に考え
ることにします。

 ともあれ、「君も大変なんだよね」って考えることができる余
裕ができるきっかけを与えてくれたことに、深く感謝します。
 あんまりせっぱつまった感覚はもっていないので、当分ROMが多
いと思いますが皆さんのやり取りを非常に興味深く読んでおりま
すので、今後もよろしく。


[543] 介入とは。 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/09(Tue) 13:07

私の言った介入とは、子供の行動上の問題を個性として受け容れてあげる、肯定してあげる、そして人間としての自信を持たせてあげる、ということです。この問題は対社会的には「問題」ですが、親くらいは「個性」として認めてあげなくては、と思います。

ご存知のように、「独り言」「こだわり」だけでなく、これからも数多くの難関をこの子たちはくぐり抜けていかねばなりません。他の人に当たり前にできることが、なぜか自分にはできない。そんな劣等感をことあるごとに感じなければなりません。私の娘は手先がやはり不器用なためにボタンができません(ちょっとできるようになりましたが)。このことで明らかに劣等感に苛まれているようで、ボタンができないことでよく癇癪を起しています。この社会は非自閉症者向けに用に組み立てられているために、こんな難関は膨大な数あります。その一つ一つに親が先回りするのは不可能です。

できないことがある、周りから誤解される、ことは避けては通れません。でもそれらのために自己イメージを悪くすることは避けられます。例えば、他の子にできなくて自分にできる、ことを見つけてあげるのも手だと思います。プラスの強化子の一つですね。


[542] Re[538]: 幼稚園児 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/09(Tue) 12:42

> カンガーさんのご心配はよくわかります。
>
> で、実際、幼稚園ではどんな様子なんでしょう?

個人面談があったばかりなのですが、幼稚園では、非常に無口だそうです。
今のところ、物の注意書きなどは一切口にしていないようです。
自分からは、あまり先生のところには話し掛けには行かないようです。

娘は年少から入園しているので2年目ですが、クラスの多くは年中から入っているので、まだ慣れていない子が多いので、娘は先生のお手伝い係をしているそうです。

すぐに全員のフルネームと個人のマークを覚えてしまい、(先生よりも、マークの持ち主である本人達よりも早くマークを覚えてしまったそうで)、「随分、ルーちゃんには、助けられています」とほめていただきました。(自閉症も役にたっているようです(笑))。

落とし物についているマークや名前で判断して、ロッカーなどにきちんともどしてあげたり、いくら言っても道具箱などを持ってこれない子に手をかしたり、着替えを手伝ったりしているそうです。

もちろん、すべて先生に「ルーちゃん、お願いね」といわれなければやりません。
自分の判断で行動できる力はありません。

物の注意書きに限らず、家族以外の人間に積極的に自分から話すのは見たことがありません。
あいさつだけは、自分からしますけど。
今現在幼稚園で困っているわけではないのですが、家の中であまりにしつこいので(ほんと〜に、とってもとっても、信じられないくらい、しつこいのです)、これがもし外ででたら、どうなるか、だいたい予想がつくので、とても心配しているのです。


> ただ、幼稚園時代の子どもは概して自己中心的ですから、
> ほっておくと異分子に対してはかなり残酷な対応を
> してしまいがちです。

そうなんです。
だからすごく心配で。
せっかくお友達が話し掛けてくれても、知らんぷりばかり(気がついて無いようにも見える)だし、「ねえねえ」としつこくされると、逃げちゃうし。
「ルーちゃんって年長さん?」って他のクラスの子に聞かれた時も「年長さん」とオーム返ししてたし(お前は年中だろうが〜)と言う感じです。
お友達とは、ほとんど言葉ではコミュニケーション取れて無いと思います。
かなり変なやつだと思われていることでしょう。


> 異分子も尊重される、そういう雰囲気のクラスは
> 他の子だって楽しいのですから。

同感です。
家の娘の能力のでこぼこさは、なかなか人々には理解してもらえません。
人よりもできることも多いので、お友達には理解不能だと思います。
つい、「こんなことができるなら」、「こんなことまでできるなら」、『当然これもできるはず』になってしまうのです。
ところが、当然できるはずのことが、まったくできない。
先生も、友達も混乱するのです。
親でさえも、混乱することがあるので、園側への説明も苦労の連続です。

今回の事で、自閉症というものの、奥深さをまたひとつ知りました。
ドラマの話から、随分離れてしまってごめんなさい。
でも私にはとても身になる話がたくさんきけて、すごく良かったです。
ちょっとおおげさかもしれないけれど、
きっとこれからの私と娘の人生の宝になると思います。


[541] Re[537]: 親心子知らず 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/09(Tue) 11:50


> 実は私はカンガーさんのお気持は痛いほど分かるのです。私だって、時と場所をわきまえた上でできるようする方法に悩んでいます。いや、正確に言えば方法では悩んでいません。その時期が来る、つまりこちらの言っていることが分かるようになる、さらに本人がその必要性を感じる、のをじりじりと待っている、そんな状態です。

方法ではなく、時期ですか。
やはり、まだむずかしいのでしょうか?
できれば、少しでもと思っているのですが.......。
本人が必要性を感じるまでだと、かなり先になってしまいそうで。
もちろん本人が必要と感じてくれれば、一番いいのですが。


> そして(クドイようですが)「独り言」「こだわり」を含む自閉症の様々な障害から派生してくる周囲との軋轢が原因で、本人の自己イメージが極端に悪くなるという大問題があります。これだけは、見守るだけでなく親が介入してやらねばならないでしょう。

どう介入すべきか、悩んでいるんです。


> サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をご存知ですか。崖の上の高台のライ麦畑の中で子供たちは遊んでいます。私は崖のふちに立って子供たちを信じて見守り、子供が崖から落ちそうになったときに手を差し伸べて救ってあげる、そういう親でありたいと、私は思っています。

そうですね。
私もそうなれたらと思います。
今の私は、子供を信じて見守ってはいたいのだけれど、やっぱりハラハラドキドキして、落ちそうになるだいぶ手前で手をにぎってしまっている感じです。


[540] Re[531][517][515][490]: 素朴な疑問 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/09(Tue) 11:35


>  昔のことは忘れたと言われても、都合が悪いからそんな風に言っているのだ、としか私には考えられません。本当に忘れているのだとは、やはり信じられないのです。きっと子供さんもそういう記憶を持っていると思いますので、昔の事を忘れない人=嘘をつかない人、が側にいると気持ちの支えみたいなものができて、世の中に対する関わり方も随分と変わるのではないかと思います。

私の記憶は少しずつ変化してしまうほうの記憶かもしれないけれど、でも覚えていることは、覚えているので、なにかちょっとうれしいですね。
今まで私を苦しめてきた記憶の再生が子供との関係にプラスになるかもしれないと思うと。


>  唯一つ悪い癖で、好いこと悪いことを問わず、思っていることを相手に言わないのは失礼であると、この年になっても信じていますので、思っていることを書きます。

私にもその傾向はあります。
今でもそのために、よく痛い目にあいます。


>  混乱してしまうような言わずもがなのことか、とも思いましたが、考えられる可能性はお話して、長い時間にわたっての選択になると思いますので、最善と思われるものを、ご自分と子供さんとで決めてください。

ありがとうございます。
いろいろな可能性は知りたいです。
本当に長い道のりでしょうが、私なりに、そして子供の気持ちも大切にして、最善と思えるものを探していきたいと思います。


[539] Re[538]: そういえばっ! 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/09(Tue) 11:08

> 幼稚園ぐらいの子どもは非自閉の場合でも、
> 自分の一方的な思いこみで喋りたいことを
> 喋りたい時に喋ってきて閉口させられます。

イトコの子どもたちとか、実家の隣の家の子どもとか、そういえばそうでしたねえ・・・

全員健常児でしたが、ウルトラなんたらの話とか、かんたら姫の話とか、園のお友だちの話とか、私が当然知っているものという前提で、あいづちを要求してましたっけ。「おじちゃん、おじちゃん」って言って(おばちゃんだっつーに!)

わからないからオロオロしていると、パンチやキックが飛んできたり(爆)

早い子で一年生、遅い子で四年生くらいで、ぱたっとやめちゃいましたねえ。あれは何だったんだろう。

http://web.archive.org/web/20011006194812/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/


[538] 幼稚園児 投稿者:megumi 投稿日:2000/05/09(Tue) 10:57

カンガーさんのご心配はよくわかります。

で、実際、幼稚園ではどんな様子なんでしょう?

幼稚園ぐらいの子どもは非自閉の場合でも、
自分の一方的な思いこみで喋りたいことを
喋りたい時に喋ってきて閉口させられます。

毎日大勢のそういう子どもを仕切ってきている幼稚園の先生は
案外自閉症の子どもの一方的なお喋りを
平気で相手できたりするんじゃないでしょうか?
(一人で数人分かもしれないけど、……(^_^;)
しかも、カンガーさんのお子さんの求める相づちは
>「そうだね」とか「ほんとだね」とか「へえ、そうなんだ」
と極めて一般的で簡単ですから、
幼稚園にいるあいだ、たかだか数時間ぐらい
できる範囲で相手をしてもらうように、
お願いしてしまってもいいのではないかと思います。

ただ、幼稚園時代の子どもは概して自己中心的ですから、
ほっておくと異分子に対してはかなり残酷な対応を
してしまいがちです。
これは先生の対応一つで空気ががらっと変わりますから
カンガーさんのお子さんの行動を否定的にとらえないような
クラスづくりをお願いしたいものです。

異分子も尊重される、そういう雰囲気のクラスは
他の子だって楽しいのですから。


[537] 親心子知らず 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/09(Tue) 09:44

カンガーさんのお子さんは4歳とのこと。私の娘も4歳で、独り言、こだわりのオンパレードです。周囲の子たちも、そして本人も違和感を感じ始めています。さらに母親譲りの独特のしゃべり方である翻訳文棒読み調になってきています。これは大人には「賢そうに」聞こえてウケがいいのですが、子供同士の間では(特に小学校にあがってから)「威張っている」「気取っている」と反感を買うようになります。これは私自身が子供のとき以来、苦々しい経験をしてきたので、娘のしゃべり方に自分の味わった辛さを重ね合わせてしまいます。

実は私はカンガーさんのお気持は痛いほど分かるのです。私だって、時と場所をわきまえた上でできるようする方法に悩んでいます。いや、正確に言えば方法では悩んでいません。その時期が来る、つまりこちらの言っていることが分かるようになる、さらに本人がその必要性を感じる、のをじりじりと待っている、そんな状態です。

子供の行く道はできるだけ平坦であれ、そう思う気持は私にだってあります。(いや、自閉症者の親が子を思う気持は盲愛に近くなる場合が多いそうです。)

行く道を少し先回りして平坦にしておいてあげたい。その気持は私も持っています。しかし、心理学でいう「抑圧」を子供に対してしてしまうと、そのツケは子供が成長したときに大きくなって返ってきます。絶対的な不信感という壁が親子の間にできてしまうのです。

カンガーさんのお子さんの様子を読ませていただいたところ、充分、問題を自分で解決できるタイプのようです。ただ、普通の子との差が
大きいために、そして(注意欠陥があると)自分にとって必要な情報を取捨選択する能力が低いために、周囲との差を克服(=理解)していくのに膨大な時間がかかります。子供が自分で道を切り拓いていく能力を信じて見守っていく、それが私の親としての仕事だと考えています。

そして(クドイようですが)「独り言」「こだわり」を含む自閉症の様々な障害から派生してくる周囲との軋轢が原因で、本人の自己イメージが極端に悪くなるという大問題があります。これだけは、見守るだけでなく親が介入してやらねばならないでしょう。

サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をご存知ですか。崖の上の高台のライ麦畑の中で子供たちは遊んでいます。私は崖のふちに立って子供たちを信じて見守り、子供が崖から落ちそうになったときに手を差し伸べて救ってあげる、そういう親でありたいと、私は思っています。


[536] Re[530]: 補足 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/09(Tue) 08:34


> こだわりは、私たちの心を守る防波堤です。「治そう」とせずに、(方便として)時と場所をわきまえた上でできるようにしてあげないと、子供さんが私の二の舞を踏んでしまいます。
>

良くわかりました。
まだそのための良い方法がみつかりませんが、
少しでも早く、そのようにしていきたいと思います。


[535] Re[528][526][524]: 私が子どものとき 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/09(Tue) 07:15

> > 娘は、なんども、同じ質問はしませんが(残念ながら、質問をする能力がまだないようです。)、なんども同じ話しをするのです。
> > 「そんなことは皆知っていることだから、なんども言うとおかしいよ」と毎日のように言ってきかせていますが、治りません。
>
> これ、本当に治さなければいけないものでしょうか?

↓にも書きましたが、独り言では無く、人に返事を求めてくるので、困っています。
無視すると、怒ったり、めそめそ泣いたりします。
でも、こうやってパソコンを使っている時は、「ママ、お仕事」といって我慢して待っています。
だから、あまりにうるさくてまいってしまう時は、パソコンの前に座るとか、家事をするとかして、逃れることはできるので、私自身が辛いことはありません。
↓に書き込んだように、私が聞いてやることで、娘が大きな誤解をして、幼稚園などで先生やお友達に、何度も何度も物の注意書きを繰り返したら、と思うと心配になるのです。


> なぜかというと、こういう独り言は、大事にとっておくと、将来、辛いことがあったときに、パニックを起こさずにすむためとか、自分の心を壊さずにすむために、使えることがあるのです。

これは、すでに使っている様子です。
泣きながら、物の注意書きを言っていることがたまにあります。
落ち着くためなんだなとわかるので、そんな時は決して注意したりせずに、見守っています。


> カンガーさんご自身も、記憶がしっかり残っているとのことでしたね。子どもさんも、もしかしたら、同じように記憶がバッチリ残ってしまうタイプである可能性があります。
>
> そんな人の場合、辛い経験をすると、後でその映像や音声が自動的に再生されてしまうことがあります。つまり、本当は5回いじめられただけなのに、たとえば平均6回ずつ後で再生されるとしたら、35回分のいじめを経験できちゃうという、効率の良い(そして損な)体質なのです。
>
これは、私自身の経験でとても良くわかります。
ただし、私の場合、映像や音声は再生されません。
記憶の反すうを自分でしてしまうだけです。
何度も何度も嫌な経験を思い出し、反すうして、さらに記憶を焼きつけて行く感じです。
だから、忘れるどころか、日々頭の中で繰り返し、苦しい思いを重ねてしまいます。
まるで、私の意思とは関係なく、私の脳が忘れないようにと勝手に働いているように感じます。


> 普通の人でも、「思い出し笑い」っていう言葉がありますけど、「思い出しおびえ」が得意なんです。
>
私もそうです。
私の場合は「思い出し怒り」もあります。

>
> 神様は私たちに、「フラッシュバック」(不快体験の記憶が強制的に再生される)という試練をお与えになりましたが、それだけではあまりにも気の毒だと考えて、「独り言」「こだわり」という解毒剤も持たせてこの世に送り出してくれたのかもしれません。

よくわかりました。
あとは、どうやって、家庭外と家庭内での使い分けをさせるか、など、テクニックの問題なのだと思いました。
そして子供にそのテクニックをその年令なりに教えていくことが、これからの課題ですね。
何をどこまで理解しているかが、よくつかめないので、しばらくは悩みそうです。


[534] Re[527][526][524]: 私が子どものとき 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/09(Tue) 06:34

> > 娘は、なんども、同じ質問はしませんが(残念ながら、質問をする能力がまだないようです。)、なんども同じ話しをするのです。
> > 「そんなことは皆知っていることだから、なんども言うとおかしいよ」と毎日のように言ってきかせていますが、治りません。
>
> それは、かなり高度な説明かも(笑)
>
> だって、「みんな知っていることだから、なんども言うとおかしいよ」が理解できるためには、その前提条件として、まず、
>
> 「話をするのは、人がまだ知らないことを教えるためである」ということを、知っていないと無理でしょう。
>
> 私が、この「前提条件」を理解したのは10歳のときです。

言われてみれば、その通りですね。
もっとわかりやすい、説明を考えなくっちゃ。
そして、家族以外の前ではやらない方が、いい(これも、まだむずかしいかも)ってことも付け足したいですね。


> 自分が既に答えを知っていることを質問すると、殴られる、怒鳴られるということは、小さいうちに覚えましたが、「話をするのは、人がまだ知らないことを教えるためである」ということを知ったのは、それよりもはるかに後のことでした。

> > これには、うんざりしてしまいます。
>
> そうですねえ、耳栓なんかいかがでしょう(笑) あるいは、子どもさんに自分の部屋があるようなら、自分の部屋に行ってやらせるとか。

私は子供の繰り返しには、確かにうんざりしていますし、ちょっと静かにしててって思う時もあるけれど、障害故ということはわかっているつもりなので、しかったり、どなったり、もちろんたたいたりはしていません。
言って聞かせているつもりなんですけれど、(きっとそれでも、本人には辛いことだと言われてしまうのでしょうが)。
私の前でだけなら、別にいいのです。
わかっているし、ある程度必要なことだと教えていただいたことがあるので。
ただ、私が何もいわずに、何度も何度も話をきいてあげると、「人と言うのは、どんなにしつこく繰り返しても、みんなが辛抱強く聞いてくれるものだ。」と娘が誤解してしまうことが恐いのです。
だから、「おかしいよ」と言って聞かせることにしていたのです。
独り言ではなく(独り言の時もありますが)、私に聞いてほしくて、私が返事をしないと怒ることが多いのです。

子供の部屋はありません。
あったとしても、1人は嫌いなので、おそらく私にくっついて、私に向かって、物の注意書きを言い続けるのだと思います。
私の「そうだね」とか「ほんとだね」とか「へえ、そうなんだ」の一言が、ほしいのです。


> 「くり返す」っていうのは、私たちの「自分らしさ」の基礎の基礎にあるものですから、これを「悪いこと」と思ってしまうと、表面的な行動は「美しく」なっても、その代わりに、とんでもない間違いの種をまいてしまいかねません。
>
> 「それは、この世間では、嫌われることである。でも、あなたは世間一般の人とは別なんだから、やりたいのは恥ではない。隠れて、末長くやれ」っていう感じが、一番助かるんじゃないかなあー。
>
そのことは、わかっているつもりです。
どうやってそのことを教えるかが、一番の悩みの種です。
娘が傷つく前に、教えてやりたいのです。
まだまだ言葉によるコミュニケーションが取れない状態ですので、うまく話してきかせることはできません。

自分で傷ついて気がついていくしかないのかもしれませんが、そうなった時には(気がついた時には)、とてもとても傷が深くなっているという印象を御本人たちの書き込みから受けるので、何とか他人から傷つけられる前に少しでも教えてやりたいという親の勝手な気持ちです。



[533] 基本的に、 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/09(Tue) 03:03

私の場合、「辛い思いを打ち明けるという行為そのもの」で、楽になることはありません。

もちろん、人を相手に話すことで、論旨を整頓できたり、「本当に使えるアドバイス」をもらえたりという、「オマケ」がついてくるなら、それを目的に話すのもいいでしょう。

ただ、「人に打ち明けることそのもの」で、楽になることはないんです。それよりも、ほとぼりが冷めるまで、避けて通る方が楽なんです。だって、まだ生々しいうちに話せば、フラッシュバックの原因を自ら招くようなものではありませんか。

自分が楽になるためなら話すかもしれませんが、単に相手が寂しがるからとか、水臭いと思われないためにとかいった動機で、こんな危険を冒す気にはなれません。そんなことよりも、もっと、自分も傷つかないような、別の方法で愛情表現をする方が、合理的ですから。

でも、何でも、いつでも話さないわけではありません。

私は、「自分は視野が狭い」ということをよく知っています。「すぐそこにあるものが見えてないことがある」というのを、よく知っています。だから、外部の目がほしくなって、夫に話すことはあります。それは、「ツッコんでもらうこと」を期待しているんです。堂々巡りに風穴を開けてもらうために、ちょうどそれが必要になったタイミングのときに話します。

それは、夫がたまたま「ほどよいツッコミ」の名人だからであって、彼が私の夫だからではありません。それに彼は、「話してもらえないから」といって、寂しがったりはしないので。

本当に辛くてしかたがないときは、関係のない話をします。頭の中を、関係のない話で埋めるためです。フラッシュバックの映像がかかるヒマがないように、ビデオデッキを常に「使用中」の状態にしておきたいからです。

そんなときは、正直に夫に頼むこともあります。

「今日、仕事でひどい失敗しちゃって、思い出したくないのに、何度も浮かんできちゃうから、別の話で頭を忙しくしていたい。今から約45分間、関係ない話の話し相手してくれる?」

とかね。

これは、辛い経験が、電話だった場合によくやります。つまり、映像なしで、主に音声ばかりが再生されるからです。映像のついた経験が辛かったときは、画像があったほうがいいので、ビデオを見るかな。それも、「スタートレック」の、もう何度も見たことのあるエピソードを見たりします。

それが、本当に助かる方法なのです。

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[532] 脱線! 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/09(Tue) 02:40

>唯一つ悪い癖で、好いこと悪いことを問わず、思っていることを相手に言わないのは失礼であると・・・

が〜ん、これって悪い癖だったんですね。私、この癖治りません(笑)。


[531] Re[517][515][490]: 素朴な疑問 投稿者:如月 投稿日:2000/05/09(Tue) 02:20

 もう少し追加させてください。
 ものを言いたがらない傾向は私の個人的な特徴なので他の人にも通じる部分はあまりないと思います。これも最近気付いたことなのですが、疲れてくると、この傾向が更に強くなってきて、声を出すぐらいならば自分の体を動かしたほうが遥かに楽だとなってくるのです。「顎で人を使う」なんてことは疲れるので、絶対したくないというわけです。
 疲れているように見えると、親切な人はお茶でも入れましょうかといってくれます。しかし疲れている時に、あのお茶の葉でこれぐらいの濃さで熱さはこのぐらい、などと口で説明しても、なかなかその通りのものが出てくることはないので、何も言わず自分で入れてしまうのです。しかしこれをやると、人を馬鹿にしているなとか、不遜なやつだなと思われるのは世の常識でした。気づくまでにどれだけこれをやっていたかは、考えたくもないので、ほっかむりしていますが困ったものではあります。
 それを避けて双方に痛みが残らない唯一の方法が、何も声をかけずに放っておいてもらうことなので、自然と、とにかく放っておいてくれという方向に流れていくのです。四歳の頃に言ったと記憶に残っているのは、「頭がしんどい(たぶん頭痛の事)」という言葉ぐらいで、ほとんどものを言わなかったと思います。お子さんのようにあれこれ話をしているのなら、喋るということについてはあまり心配はいらないのではと思います。

 それよりも、記憶というものが自閉症スペクトルの上にある人と、そうでない人との間で、かなり異なった感覚で捕らえられているものだと感じましたので、その違いを理解することがお互いの理解のためにとても重要だと思います。「嘘をつく記憶」とかいうような題名の本が、一時期話題になりました。記憶とは固定化されたものではなくて、思い出す度に再構成されるものだ、というような内容でした。
 普通はそうなのかもしれませんが、自閉症スペクトルに関連する人は、多かれ少なかれもっと固定化された写真のような記憶を持っていて、それを基準にして世界観を作っているように思います。昨日のことも十年前のことも、興味を持ったことであれば同じように覚えているので、そこから出てくる発想は、十年前のことなんか忘れたという人とは、必然的にかなり違ったものになります。
 昔のことは忘れたと言われても、都合が悪いからそんな風に言っているのだ、としか私には考えられません。本当に忘れているのだとは、やはり信じられないのです。きっと子供さんもそういう記憶を持っていると思いますので、昔の事を忘れない人=嘘をつかない人、が側にいると気持ちの支えみたいなものができて、世の中に対する関わり方も随分と変わるのではないかと思います。

 唯一つ悪い癖で、好いこと悪いことを問わず、思っていることを相手に言わないのは失礼であると、この年になっても信じていますので、思っていることを書きます。
 気持ちの支えはあるに越したことはないのですが、それに頼ろうとする意識はどんな人であっても止めようがありません。私は支えになるようなものはなかったので、なんでも自分でやるしかないのだ、と最初から決めていました。それはしんどいことでしょうが、そんなことでもない限り、嫌なものは誰にだってあるし、助けてくれる人があるならば、頼ってしまうのは人間ならば当然です。頼れるものがあれば私も頼ったと思います。けれど、頼らなかった分だけ、自立という点では、後がないので前に進めたかなとも思っています。
 辛そうにしているのを何もせずに見ていることは、更に辛いものです。できることではないでしょう。でもそれが自立の助けになるかというと、余程うまくいかない限り、両立は難しいと思います。諸刃の剣なのですね。
 支えがないとどうなるかは、自分の体験から大体の見当はつきます。でも支えがあるとどうなるのかは、わからないのです。其れが好いのか悪いのかが。人は体験していないものや感情を、理解できるようには作られていません。
 混乱してしまうような言わずもがなのことか、とも思いましたが、考えられる可能性はお話して、長い時間にわたっての選択になると思いますので、最善と思われるものを、ご自分と子供さんとで決めてください。


[530] 補足 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/09(Tue) 01:56

別の考え方もあるのだ、ということを理解していただくための荒療治に母のことを書いてしまったので、ちょっと焦点がぼやけてしまいました。「親にも話せないこと」ではなく、「親だから話せない」ということが思春期以降にあるのは、非自閉の人にとっても言えることでしょう?

特に繭子の母親のような、子供の本来の、自然な在り方を『治そう』とするタイプだと、例えば私が繭子なら「この親には言えないな」と思ってしまいます。私は母親に愛着を持ってはいましたが、思春期過ぎたころから、母親には本当のことは話せなくなってしまいました。なぜか?ですって?だってありのままの自分を母親の前でさらけ出すと決まって「そんなことをやっているとキ○○イだと思われる」と言われ、「治そう」とされたからです。繭子の母親が「狭山先生に相談したんだけど、・・・だめだって。治してもらえないって。」と言った時に、自室に戻った繭子が「治す・・・」とつぶやいていたのを覚えてらっしゃいますか。

自閉症は私にとって障害であると同時に、確固たる個性です。私の親はその個性を「治そう」「無くそう」とし、私もそうしてきたために、今の私は自己嫌悪の塊であり、フラッシュバックだけがひたすら起きる自虐マシーンになってしまいました。

こだわりは、私たちの心を守る防波堤です。「治そう」とせずに、(方便として)時と場所をわきまえた上でできるようにしてあげないと、子供さんが私の二の舞を踏んでしまいます。


[529] 私たちの場合 投稿者:フリーラジカル 投稿日:2000/05/09(Tue) 01:28

カンガーさんが、親に「も」話せないことをなぜ狭山先生に・・・という考え方を持ってらっしゃるようですので、ここでショッキングなエピソードを。

前にも書きましたが、私の母親は明らかに「重度」の本人でした。母親は私の前で涙を見せたことがなく、感情(あくまで感情表現、ということです)も普通の人に比べてはるかに平板でした。そんな母が、ですよ。そんな母が晩年、私に愛されていないということを周囲にひんぱんに洩らしていました。で、その際、彼女がたまたま話し相手に選んだ近所の民生委員に「泣いて」訴えたというのです。カンガーさんの言い方を借りれば、娘の私にで「さえも」涙を見せなかったのに、ですよ。

これには正直な話、「口惜しい」気がさせられました。母は「毅然とした自分」を娘の前で演じていたのでしょうか。

ところが!そういう私も母と同じだったんです。それを思い出させた事件は、母が肺炎を癌だと誤診されて入院したときのことでした。母が例によって周囲の人に「自分は娘に愛されていない、あの子はいつも、私に対してとても冷淡に、ぶっきらぼうに話をする」談を一説ぶっていたとき、ある看護婦さんが「そんなことはない、あなたが高熱でいまわの際をさまよってたとき、娘さんは泣きながら一晩中、あなたの手を握っていた」と母に告げたそうです。母は一瞬「信じられない」と言い、それでも嬉しそうにしていたとのことです。私にしてみれば、「愛している」なんて口に出して言わなきゃワカンナイなんて、オバカ!と思っていました。

愛情表現が苦手な同士の、不幸な行き違いでした。


[528] Re[526][524]: 私が子どものとき 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/09(Tue) 00:26

> 娘は、なんども、同じ質問はしませんが(残念ながら、質問をする能力がまだないようです。)、なんども同じ話しをするのです。
> 「そんなことは皆知っていることだから、なんども言うとおかしいよ」と毎日のように言ってきかせていますが、治りません。

これ、本当に治さなければいけないものでしょうか?

もう少し大きくなってきて、自分の部屋へ行って言うとか、小さい声でぶつぶつ言うとか、そういうテクニックを覚えられそうな年になるのを待って、教えるという手もあると思いますが。

なぜかというと、こういう独り言は、大事にとっておくと、将来、辛いことがあったときに、パニックを起こさずにすむためとか、自分の心を壊さずにすむために、使えることがあるのです。

カンガーさんご自身も、記憶がしっかり残っているとのことでしたね。子どもさんも、もしかしたら、同じように記憶がバッチリ残ってしまうタイプである可能性があります。

そんな人の場合、辛い経験をすると、後でその映像や音声が自動的に再生されてしまうことがあります。つまり、本当は5回いじめられただけなのに、たとえば平均6回ずつ後で再生されるとしたら、35回分のいじめを経験できちゃうという、効率の良い(そして損な)体質なのです。

普通の人でも、「思い出し笑い」っていう言葉がありますけど、「思い出しおびえ」が得意なんです。

そして、このような「テープ再生」が起きそうなとき、あるいは起きてしまったとき、自分の心を守るためには、別のテープをあわてて意識的に再生するという方法がよく効きます。

もちろん、印象の薄いテープだったら、トラウマ体験のテープには負けてしまいますから、勝とうと思ったら、よほど熱狂できるテープでなくてはなりません。だとすると、お気に入りのテープ(独り言)が一番、役にたつのです。

> 特に、ものの注意書きです。
> 何度も何度も言うのです。
> たいていの物には注意書きがあるし、たいていの字は読めるので、よく読んでいます。
> 「小さな部品は危険ですので、3才以下のお子さんには与えないようにしてください」とかがおきにいりです。
> しつけ絵本とかの、文句も好きで、繰り返します。

こういうのが日ごろからストックの中にあると、いざという時に、使えるんです。でも、いざというときに使えるようにするためには、日ごろから、気楽なとき、楽しいときに、この独り言にひたっていないといけませんが。

神様は私たちに、「フラッシュバック」(不快体験の記憶が強制的に再生される)という試練をお与えになりましたが、それだけではあまりにも気の毒だと考えて、「独り言」「こだわり」という解毒剤も持たせてこの世に送り出してくれたのかもしれません。

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[527] Re[526][524]: 私が子どものとき 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/08(Mon) 23:46

> 娘は、なんども、同じ質問はしませんが(残念ながら、質問をする能力がまだないようです。)、なんども同じ話しをするのです。
> 「そんなことは皆知っていることだから、なんども言うとおかしいよ」と毎日のように言ってきかせていますが、治りません。

それは、かなり高度な説明かも(笑)

だって、「みんな知っていることだから、なんども言うとおかしいよ」が理解できるためには、その前提条件として、まず、

「話をするのは、人がまだ知らないことを教えるためである」ということを、知っていないと無理でしょう。

私が、この「前提条件」を理解したのは10歳のときです。

自分が既に答えを知っていることを質問すると、殴られる、怒鳴られるということは、小さいうちに覚えましたが、「話をするのは、人がまだ知らないことを教えるためである」ということを知ったのは、それよりもはるかに後のことでした。

> これには、うんざりしてしまいます。

そうですねえ、耳栓なんかいかがでしょう(笑) あるいは、子どもさんに自分の部屋があるようなら、自分の部屋に行ってやらせるとか。

「くり返す」っていうのは、私たちの「自分らしさ」の基礎の基礎にあるものですから、これを「悪いこと」と思ってしまうと、表面的な行動は「美しく」なっても、その代わりに、とんでもない間違いの種をまいてしまいかねません。

「白人的な顔立ちを求めて、整形をくり返すマイケル・ジャクソン」みたいなことになってしまうんですよ。まあ、日本人の素人さんにも、金髪にして白塗りにして青いコンタクト入れて、結婚するなら絶対白人、なんて言ってる人もいますけど。

でも、それを聞いていて実際お母さんが生理的につらいのであれば、耳栓をするなり、よその部屋に行かせて一人でやらせるなり、物理的にご自分を守ることだって大切ですもの。

「それは、この世間では、嫌われることである。でも、あなたは世間一般の人とは別なんだから、やりたいのは恥ではない。隠れて、末長くやれ」っていう感じが、一番助かるんじゃないかなあー。

>自分の気分で、わかることだけを答えている程度です。

だとしたら、私よりも、「子どもの頭で勝手に推理して、誤解したがゆえの、自業自得の二次的なこじれ」が軽いのかもしれません。

私は比較的、二次的なこじれの大きい子どもだったような気がしますが、思い出してみたらそのほとんどが自分の誤解に基づくもので、まさに自業自得、誰にも文句の言いようがありません(爆)

> 例え、道具扱いされても、子供の役にたてれば、いいかなって思いますが、「好きだけど、愛着がない」って感覚はやっぱり私にはむずかしくてよくわかりません。

好意と愛着は、全く別の物ですから。愛着のある対象には好意を持っているといえますが、好意のある対象に愛着があるとはいえません。

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[526] Re[524]: 私が子どものとき 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/08(Mon) 22:48

> カンガーさんの子どもさんが4歳とのことですので、4歳のころのことを思い出してみることにしました。

ありがとうございます。
すごく、うれしいです。


> だいたい、保育園から帰ったら、いろいろと母の質問に答えていました。何があったの? 何をしたの? 給食は何? などなど。

家は今まさにその通りのことをしています。
ちなみに、今日の会話。
「今日は幼稚園で何をしたの?」
「紙工作」
「紙工作で何を作ったの?」
「お猿とバナナのシーソー」
「工作で何を使ったの?」
「はさみ、のり」
「セロテープは?」
「いらない」
「いらないじゃなくて、使わなかった、でしょう?」
「使わなかった」
「工作は楽しかった?」
「楽しかった、焦げ茶と黒でぬったの。」
「お猿さんを焦げ茶と黒でぬったの?」
「...沈黙...」
「バナナは何色にぬったの?」
「...沈黙...」

沈黙が続くと、質問はやめることにしています。


> ただ私は、大人は何でも知っていると思っていたので、母が、知っているはずのことをなぜ質問するのか、いぶかしく思っていました。私が、すでに知っていることを質問することは、厳しく禁じられていたからです(きっと、おんなじ質問をしつこくくり返して、いやがられていたということなんでしょうけど)。

これも、それに近いことがあります。
娘は、なんども、同じ質問はしませんが(残念ながら、質問をする能力がまだないようです。)、なんども同じ話しをするのです。
「そんなことは皆知っていることだから、なんども言うとおかしいよ」と毎日のように言ってきかせていますが、治りません。
特に、ものの注意書きです。
何度も何度も言うのです。
たいていの物には注意書きがあるし、たいていの字は読めるので、よく読んでいます。
「小さな部品は危険ですので、3才以下のお子さんには与えないようにしてください」とかがおきにいりです。
しつけ絵本とかの、文句も好きで、繰り返します。
「横に広がって歩いてはいけません、1列になってあるきましょう」とかです。
これには、うんざりしてしまいます。


> そこで、保育園から帰ったら(母が正解を知っていると思っているので、まちがえたら叱られるなあとおびえながら)、必死で質問に答えていました。

そのような様子は見られないので、たぶんまだそのような気持ちは持っていないようです。
自分の気分で、わかることだけを答えている程度です。


> その他に、つらいことがあったときは、関係のない話題を、母にべたべたとまとわりついて、ぺらぺらしゃべりまくりました。他の子のうわさ、つらいことがあったのとは別の活動の報告、などなど。
>
> それは、つらいことの記憶が何度もよみがえるのを、別の話題に意識を集中させることで、かき消そうとしていたのです。
>
> そういう意味では、関係ない話をまくしたてるのを、「あらそおう、よかったわねえええ」と聞いてくれる母は、私が自分の心を守るのに役に立ってくれていたとも言えます。
>
> でも、人間対人間としては、非常に失礼な接し方なのでしょうね。母を道具扱い、物扱いして、利用しているわけですから。
>
> 私は、母に愛着がありませんでした。でも、母に好感、好意は持っていました。母のことは好きでしたが、愛着はありませんでした。

家の子は、そこまで能力が高くないというか、あまりまだものごと良くわかってない感じがします。
いずれ、わかってくるようになるだろうとは思っていますが。

例え、道具扱いされても、子供の役にたてれば、いいかなって思いますが、「好きだけど、愛着がない」って感覚はやっぱり私にはむずかしくてよくわかりません。


[525] Re[519][490]: 素朴な疑問 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/08(Mon) 22:09

> > 狭山先生のように、親はなれないのかな〜。
> >
> まあ、親じゃないから話しやすいということは、あるかもしれません。
> あるいは、担任には話せないのに、養護教諭には話せるとか。
>
> 私の時も、身内には弱味を見せたくないという感じが、特に10代から20代にかけてはありましたしね。
>
> 健常者でも、この年齢のときって、少しずつ実力つけて親離れしたい時期でしょう? 私が繭子くらいの年齢のときは、親離れしたい本能はあるのに、能力が伴わない(身辺自立ができない、等)という、非常に屈辱的な時代でした。

> だから、「家族以外だから言える」というのは、あるかもしれませんね。第三者はニュートラルだと思うし。

これは、すごく良くわかります。
健常といわれる人にも一番わかりやすい部分でしょうね。

親というのは、むずかしいものですね。
子供の自立心も大切だと思うし。
でも、やっぱり話せるものなら、話して欲しいですね。
無理しなくても、自然に話したくなるような、そんな親をめざしたいと思います。

まあ、うちの娘は甘えたいざかりのまだ「ねんね」の4才ですから、私も親としては5年目の「ねんね」でございます。
子供が目覚めるには、まだ数年の有余がありますよね。
こんな素晴らしい機会を大切にして、親として理解を深めていきたいと思います。


[524] 私が子どものとき 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/08(Mon) 21:27

カンガーさんの子どもさんが4歳とのことですので、4歳のころのことを思い出してみることにしました。

カンガーさんのお子さんとはタイプが違うかもしれないし、障害の程度も違うかもしれないので、そのまま参考にはならないかもしれませんが。

だいたい、保育園から帰ったら、いろいろと母の質問に答えていました。何があったの? 何をしたの? 給食は何? などなど。

ただ私は、大人は何でも知っていると思っていたので、母が、知っているはずのことをなぜ質問するのか、いぶかしく思っていました。私が、すでに知っていることを質問することは、厳しく禁じられていたからです(きっと、おんなじ質問をしつこくくり返して、いやがられていたということなんでしょうけど)。

ところが、そのうちに、「テストの問題」や「クイズ」のときは、質問者は、自分がすでに知っていることも質問していいのだ、ということを覚えたので、「きっとこれはクイズなんだ」「テストなんだ」と推理しました。

そこで、保育園から帰ったら(母が正解を知っていると思っているので、まちがえたら叱られるなあとおびえながら)、必死で質問に答えていました。

その他に、つらいことがあったときは、関係のない話題を、母にべたべたとまとわりついて、ぺらぺらしゃべりまくりました。他の子のうわさ、つらいことがあったのとは別の活動の報告、などなど。

それは、つらいことの記憶が何度もよみがえるのを、別の話題に意識を集中させることで、かき消そうとしていたのです。

そういう意味では、関係ない話をまくしたてるのを、「あらそおう、よかったわねえええ」と聞いてくれる母は、私が自分の心を守るのに役に立ってくれていたとも言えます。

でも、人間対人間としては、非常に失礼な接し方なのでしょうね。母を道具扱い、物扱いして、利用しているわけですから。

私は、母に愛着がありませんでした。でも、母に好感、好意は持っていました。母のことは好きでしたが、愛着はありませんでした。

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[523] Re[518]: カンガーさん、 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/08(Mon) 21:25

>でも本当に理解する心を持つ謙虚さが大事なんだろうなと痛感しています。

同感です。

>(Lingkoさんの、「自閉連邦在地球領事館附属図書館」や「アスペルガーの舘内のマルハナバチさんのページ」はもうご覧になってますか?一晩くらい眠れないくらいの鮮烈なドラマ(現実)がそこに有ります。私が宣伝するのも変ですが...)

もちろんです。
随分前の話ですが、「アスペルガーの舘」が私のインターネットをはじめるきっかけになりました。


[522] Re[520][516][490]: 素朴な疑問 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/08(Mon) 21:15

> 反論するつもりでは決してないのですが、私にはどうしても繭子が、狭山先生に話がしたいと心から思っているように見えてしまうのです。
> 私が自閉症をわかっていないために、そう見えてしまうのかもしれません。
> それとも、ドラマを見る能力にかけているのかもしれません。
>
> ただ、どうしても、繭子が狭山先生に自分の事を心からわかってほしいと思っているし、繭子も先生をわかりたいと思っていると思えたのです。

あ、「狭山先生に話をしたい」とは思っていると思います。

ただ、「話したらどうなるから」話したい、というイメージっていうか、目的意識がきちんと描けているとは思えない、ということです。

たぶん、つらかったこと、大変だったことを、ていねいに人に話すということ自体、新しい経験なのでしょう。

なんていうか、実験中、っていうんでしょうか、何もかもが目新しく、手探りでやっている。実験に夢中。そんな感じがするんです。

狭山先生に話したいとは思っているけれど、それは「話せば楽になると知っているからではない」と言えば、わかっていただけるでしょうか。

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[521] Re[517][515][490]: 素朴な疑問 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/08(Mon) 21:04

> でも、今回はとても基本的な部分なのに、大きな誤解をしていることに愕然としました。
> きっと、他にも思いもしないところで、私は大きな誤解をたくさんしているのだろうなと思います。

でも、私は35年間も非自閉の世界を理解しようとして、まだ理解できずにいるのですから、お互い様だと思います。

カンガーさんは、自閉の世界を理解しようとし始めて、まだ4年たっていないのですから。

(って、別に、競争してるわけじゃないんですけど〜(笑) 張り合ったって意味ないですからね)

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[520] Re[516][490]: 素朴な疑問 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/08(Mon) 21:01

> > 私は母にはたいていの事は話しました。
> > だって誰かに話さないと辛かったから。
>
> この部分が、最初から、欠けていたとしたらどうでしょう?
> 辛いのは辛いにしても、誰かに話したら楽になるということがなかったとしたら?

誰かに話したら楽になるってどういうことなんだろう。
突き詰めて考えてみると、私の場合、人に話すと自分の考えが整理されて、なぜ辛いのか、どういうふうに自分の気持ちをもっていったらいいのか、自分自身が分かりやすくなるってことかな。

もちろん話す相手によっては、アドバイスが欲しいこともあるし、慰めてもらいたいこともあるかもしれない。

特に後者については自閉症である娘に、期待してはいけない部分なんでしょうね。


> > 母という味方がいたから、なんとか乗り切れたんだと思うのです。
> > 繭子も誰かに話したいから狭山先生に話すんですよね。
>
> 今のところは、まだ、そうじゃないと思う。
>
> 「誰かに話したいから」じゃなくて、「人に話すと楽になるんだよ」と言われて、「へえ? そうなの?」と文字通りに信じて、実験をしている段階でしょう。
>
> それは、狭山先生がたまたま、自閉のことには詳しくなくて、泥縄で勉強をしている段階だから言えてしまったことかもしれません。
>
> そして、繭子は、話したことによって楽になったのではなくて、話した結果、狭山先生が具体的な対策を考えてきてくれて、それが成功したことを、「なるほどこの状態を、楽になったと呼ぶのであるか」と思っているのでしょう。
>
> 実際は、「できることが増えた」だけであって、楽になったわけではないと思いますが。


う〜ん。
きっとその通りなのだと思います。
さっきも書き込みましたが、私にはやっぱりむずかしい。
私は大きな誤解をしているみたいなんです。
反論するつもりでは決してないのですが、私にはどうしても繭子が、狭山先生に話がしたいと心から思っているように見えてしまうのです。
私が自閉症をわかっていないために、そう見えてしまうのかもしれません。
それとも、ドラマを見る能力にかけているのかもしれません。

ただ、どうしても、繭子が狭山先生に自分の事を心からわかってほしいと思っているし、繭子も先生をわかりたいと思っていると思えたのです。

だから、つい、親に対しても、そんなふうにちゃんと話がしたいって思ってくれないのかなって、そう思って、はじめの書き込みになってしまったのです。



[519] Re[490]: 素朴な疑問 投稿者:Lingko 投稿日:2000/05/08(Mon) 20:49

> 狭山先生のように、親はなれないのかな〜。
>
まあ、親じゃないから話しやすいということは、あるかもしれません。
あるいは、担任には話せないのに、養護教諭には話せるとか。

私の時も、身内には弱味を見せたくないという感じが、特に10代から20代にかけてはありましたしね。

健常者でも、この年齢のときって、少しずつ実力つけて親離れしたい時期でしょう? 私が繭子くらいの年齢のときは、親離れしたい本能はあるのに、能力が伴わない(身辺自立ができない、等)という、非常に屈辱的な時代でした。

競争心というもののない私に、屈辱感を感じる能力があったなんて、すばらしいことではありますが(爆)、主観的には非常に苦痛でした。

いや、最初は、自分に生活能力がないことにさえ気づかず、何でもできると思い込んで家をとび出した(ただしお金だけはもらっていた)のですが、それができないことに気づいたときには、今さら親に失敗を認めるなんてできなくて、ひたすら見栄を張りつづけて、どんどんこじらせていったものです。

両親は私をとても愛してくれていましたが、親の欲目で私の能力を過大評価する(つまり障害の影響を過小評価する)傾向がありましたから、私が必死で見栄を張ると、両親は喜んでそれを信じてしまうことになり、どっちが悪いわけでもなく、お互い様、要するに組み合わせがアンラッキー、という状況でした。

だから、「家族以外だから言える」というのは、あるかもしれませんね。第三者はニュートラルだと思うし。

もしかしたら、繭子が、無理をしてでもレストランに行こうとするのは、「お弁当を作ってもらう身分」から脱出したいのかもしれません。乗りかえの駅をしつこく確認する弟にちょっと逆らってみたりしていたでしょう?

そう思うとなおさら、美咲の「たまごサンド」が象徴的に思えてきたりして(笑)

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[518] カンガーさん、 投稿者:とら 投稿日:2000/05/08(Mon) 20:46

>でも、今回はとても基本的な部分なのに、
>大きな誤解をしていることに愕然としました。
>きっと、他にも思いもしないところで、私は大きな誤解を
>たくさんしているのだろうなと思います。

私も本人の方から色々な意見を拝聴してそう思うことが度々です。それでもめげずに「いいや、うちの子はそういった感覚ではないはず」なんてしつこく思ってしまうのです。でも本当に理解する心を持つ謙虚さが大事なんだろうなと痛感しています。(Lingkoさんの、「自閉連邦在地球領事館附属図書館」や「アスペルガーの舘内のマルハナバチさんのページ」はもうご覧になってますか?一晩くらい眠れないくらいの鮮烈なドラマ(現実)がそこに有ります。私が宣伝するのも変ですが...)


[517] Re[515][490]: 素朴な疑問 投稿者:カンガー 投稿日:2000/05/08(Mon) 20:28


>  個人的な観点からしか考えられないので、一般論ではなく自分の感覚をお話します。

感じていらっしゃることを、お話くださってありがとうございます。
しかし、私には、正直言って、頭では理解できても、本当には理解できません。
そういう人もいるのだろうな、とか、そういう場合もあるのだろうな、とかは思えるのですが、実感することができません(実感できないのは、あたりまえのことですね)。
やはり、私には想像を絶するものがあります。

自閉症の子供を持ち、本も読み、講演会にも良く顔をだしています。
それでも、表面的なことしかわかっていないのだなと思いました。

本人の方のお話を伺う機会は全く無いので、私の思い描いていた自閉の世界とは今回は大きなずれを感じました。
もちろんずれを感じない話題もありますし、私なりに理解している(と思っているだけかもしれませんが)部分も少しはあります。
でも、今回はとても基本的な部分なのに、大きな誤解をしていることに愕然としました。
きっと、他にも思いもしないところで、私は大きな誤解をたくさんしているのだろうなと思います。

親の私がこれでは、一般の方々に理解してくれということが、どれほど困難なことなのか、ためいきがでます。

私の子供は高機能自閉症といわれていますが、まだ4才で言葉の使い方がまだまだ未熟ですが、「ママ、ママ聞いて!」「ママ、ママ見て!」とべたべたと、まとわりついて、幼稚園でうれしかったことや、私にしてほしいこととか、いろいろ