autismドラマに関するBBS 過去ログ(2000年8月20日〜10月1日分)
> > ふは〜〜。悪かったわね。しっかりしていなくて。
> ↑
> もらったー、これ。
> こんど、どこかで使おーっと。
>
あげまーーす。普及させて!http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> ふは〜〜。悪かったわね。しっかりしていなくて。
↑
もらったー、これ。
こんど、どこかで使おーっと。
> 一週間前に、姫(長女)の同級生のお母さんに、「あら〜、だいじょうぶよ〜、姫ちゃん、しっかりしているから。なおるわよ〜、自閉症。」と言われたばかりなんで。
ふは〜〜。悪かったわね。しっかりしていなくて。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
驚き---
いつ出るんだろ、自閉症の息子を思いながら、見てしまった
フジっていったら、ロゴはあの目玉マークでは・・・http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/kinyoue/index.html
・・・自閉症の息子の心は開かれるのか?感動人情奮戦記」
番組の放送はまだですが、メッセージを送りました。
●制作者は自閉症とはどんなものか知っていますか?
●まさか天下のフジテレビが、(自閉は心を閉ざした心因の病気)
だと誤解しているわけではないですよね?
●ライバル局の日テレとTBSのこの春のautismドラマの内容は知
っていますか?
まさかとは思いますが、しっかり予備調査をした内容ですよね。
メディアの責任は十分に感じて作られていますよね。
と言う趣旨のメッセージです。
< あ、やっぱり、臍曲がり文・・・。
さっきのは、フレームの外にリンクしてました。シツレイ。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/kinyoue/index.html
しょせん、「自閉症」っていう言葉の理解度なんて、一般的には、そんなもんよと思ってしまっている、今日この頃。
一週間前に、姫(長女)の同級生のお母さんに、「あら〜、だいじょうぶよ〜、姫ちゃん、しっかりしているから。なおるわよ〜、自閉症。」と言われたばかりなんで。
この5年間、懇談会で姫の障害の説明をしてきたことは、少なくとも、この人には無駄だったのだ。
なんて〜、別に落ち込んでないけど〜。
100人に説明して、一人でも理解してくれたらそれでいっか♪
メッセージを送れるようですよ〜!
URL見つけました。
>外へ出たがらない春樹をやっと連れ出すことに成功する。
成功、ねぇ。そういうもんですか。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.fujitv.co.jp/jp/
フジ系、今夜20時10分です。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
金曜エンタテイメント
「腕まくり看護婦物語・(10)婦長旋風編」
婦長旋風編・元鬼婦長に末期がん宣告・・・自閉症の息子の心は開かれるのか?感動人情奮戦記
=============
まだこんなこと言ってるわけー? 心が開かれるとか。
くそー、人がシンドイときを狙ってー(関係ないって)。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
ジョージと二人で、荒野をさまよっていたころ
リンコさんのカキコのおかげで(けやきの方で)
ASにたどり着けたので、リンコさんに会えると
思うと、番組が待ち遠しい限りです
> なんか、これ、
>
> >(よくしらない)
>
> いい味出てますねえ。とくにひらがなであるところ。
えへへへ。わかってくださって、嬉しいわ。ここはひらがなでなくてはならなかったのです。
書き込みというものは、内容だけでは成立しません。字づらも対等の要素なのですから。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
なんか、これ、
>(よくしらない)
いい味出てますねえ。とくにひらがなであるところ。(単に変換しそこねただけかも。でも結果的に甘露甘露。)
>
>取材を受けたゲストの方というのはリンコさんだそうです。
厳密に言うと、ゲストっていうのかな? 私は収録済みのVTRの中で出て来ます。スタジオには行きません。たぶん、スタジオのお客様は、きっと杉山先生か誰かじゃないかな?(よくしらない)http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> 10日のゲストの方のお話、とても楽しみにしています。
>
すでにご存知で「楽しみにされている」と書かれているのかもしれませんが、取材を受けたゲストの方というのはリンコさんだそうです。
「にんげんゆうゆう」
私もとても楽しみにしています。
娘の障害について「どうしても理解できない状態」の幼稚園の先生や、娘のお友達のお母さんにも「是非見てください」とお願いしようと思っています。
10日のゲストの方のお話、とても楽しみにしています。
NHK教育TV「にんげんゆうゆう」で10月、(大人の?)アスペやADHDを取り上げます。
シリーズ
『自分を責めないで』
時間は19:30〜20:00 翌日の13:05から再放送
●10月9日(月)
ようこそ自閉の世界へ
(アスペルガー症候群の人の世界-1)
杉山登志郎さん(静岡大学教授、精神科医)
●10日(火)
協調性はないけれど
(アスペルガー症候群の人の世界-2)
●11日(水)
わたし忘れ物の名人です
(大人のADHDについて-1)
ゲスト/高山恵子さん(「えじそんくらぶ」代表)
●12日(木)
片づけられない女といわれて
(大人のADHDについて-2)
ゲスト/高山恵子さん(「えじそんくらぶ」代表)
さすが「にんげんゆうゆう」(sippona談)楽しみです。
ままはっちさん、Mさんの所からこっちに持ってきましたよー。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.nhk.or.jp/nhkvnet/youyou/ban/ban_10w2.html
私が会社勤めをしていた頃、何が一番迷惑だっただろうか思い出してみたのですが、たぶん、月間計画、週間計画をたてるのが大好きで、結局、かんじんな仕事も、あまりやらずに、計画修正ばかりしていたような気がする。
過去のデータを元に計画をたてても、その通りに仕事が進むはずはなく、「私の計画に間違いはなかったはず。」と思ったり、仕事の進行状況を聞かれて、「そんな先の事、わかるはずないじゃない。」と思ってムッとしたり、かなり扱いにくい「お局様」だったような気がする。
今は、ただの主婦なので、誰に気がねなく、月間計画、週間計画たててます。
ただ、私に指示を出す人が多くなったので混乱してます。
「これからも○○さんとは、いろいろお話をさせてください。心からのお願いです。」
なんて書かれると、私なら完全に引きます。
まず、「これからも」の"も"、「お話をさせてください」の"させて"、「心から」という言葉に身震いしてしまいます。
よく言うでしょう、連邦市民とお付き合いするには「猫のような関係」が良いって。でも、「気が向いたら、来てね!」なんて言われてそっとエサでも置かれると、きっと居座るでしょう。
はああ〜、如月さんが探してくださった[990]の書込み、ドンピシャリです。受け止め方も同じ。
ごめんなさい。ハタミホコさん。
でも単に「こういう子とは相性が合わないなあ〜、一緒にいるにしても、お互い無理がいろいろあって、シンドイだろな〜」と実感するだけなのです。私が危惧するのは、だからといってハタミホコさんが、「じゃあ、これじゃあイケナイ」(←と、私みたいな発想法で)と思って娘さんの自然な在り方を否定したり、否定まではいかなくても恥ずかしいとか、思われることなんです。いいんです。娘さんもまた、今のままで。ただ、娘さんがもし将来、連邦市民に「片想い」の友情・愛情を抱いてしまったら、不幸という他はありませんね。
今、私はジレンマに陥って書込みができなくなっています。
私がいろいろとここで発言することで、私自身の意図とは別の所で、誰かの「心の中に入った」り、自然な在り方を否定したり、行動を縛るようなことがあってはならないな、と。私は自分も縛られたくないし、誰も縛りたくない。
> ↓削除してください。
> なんか、人付き合いが苦手なことを自慢してるみたいで、おかしいですよね。
> 反省。
おかしくないと思いますよ。
いろいろな人がいるって、よくわかっていいと思いますよ。
いいな〜と、思ったけど。(イケナイ、イケナイ)
> 忘れることはできません。気にしないようにもできません。
> でも、この話をやめることはできます。
横からチャチャを入れるようで申し訳ないのですが、私も以前ああこんな子は苦手だなと思った記憶があって、過去ログを探してみたらありました。
[990]の
>同年齢の子どもたちに対してかばうような、いたわるような、>まるで保護者のような態度と言葉で接している。それで鬱陶し>がられてケンカになる。じぶんのお膳立てどおりに他人を動か>そうとして、単なる遊びがバトルになる! あああ。
です。
フリーラジカルさんが言っているのとは違うかもしれませんが、こういう感じの人は結構苦手です。一般常識とは違って、個人的には冷たく無視してくれたほうが遥かに楽なのです。
勿論子供さんの性格をどうこういうものではありません。ふと思い出したので余計なお世話かとも思いつつ、書いてみました。
横から口を出して、気に障ったならごめんなさい。
フリーラジカルさん、忘れて欲しいと言われて忘れられればいいのですが、私にはそれはできません。自分のことを言われたのなら、よい子のフリして、「いーよいーよ。気にしないから」と軽く言えるけど、娘のことをコワイと感じられたとなると、気にせずにはいられません。私は娘のことをコワイと感じたことも、娘は他の子にコワイと思われているのかしらと感じたことも一度もありません。「私の書き方のせいで真意が伝わってなかったのかしら?」「いや、他の子を怒らせることはしょっちゅうだけど、少なくともコワがらせてはいないとずっと思っていたけれど、私の鈍感さのせいでわからないだけなのかしら?」と悩まずにはいられません。
忘れることはできません。気にしないようにもできません。
でも、この話をやめることはできます。
--------------------------------------------------
と、以上、きつい口調で書いてしまいましたが、これからもフリーラジカルさんとは、いろいろお話をさせてください。心からのお願いです。
↓削除してください。
なんか、人付き合いが苦手なことを自慢してるみたいで、おかしいですよね。
反省。
> では私との違いがどこにあるのかと考えると、この感覚を持ちながら普通に社会生活するための切り替え能力に、決定的な違いがあるようです。高機能健常者は個人的な生活ではこの感覚を優先して自分にとっての快適な環境を作り、会社のような社会生活の部分ではそれを押さえて世間の常識にうまく従っています。
健常者でも切り替えができない人もいます。
(私はそこそこできますけれど)。
私のこういう部分は血筋なのだと思うのですが、父方のいとこ達でまともに就職している人はほとんどいません。
世界中を旅している人もいますし、どこに勤めても人間関係がうまくいかず、自らの手でこの世を去った人もいます。(暗い話ですみません)。
転職しまくっている人、大学に学生として残って研究を続けている人。
みんな30歳を過ぎています。
結婚しているのも私だけですし。
私も自分の弱さを知っていたので、大学は理系を選び、仕事は研究職を選びました。
研究職はひとりでこつこつと仕事をするので、大変私に向いていました。
よく考えてみると、まわりにいた人たち皆かなり変人だったと思います。
能力主義なので、いわゆる人間性にはほとんど関係がない世界で、個人主義が徹底していました。
一見とても冷たい世界でしたが、私には楽でした。
要領のひどく悪い健常者もいるのです。
ハタミホコさん。
実は昨日、この私の書込みを投稿してから、何かが心にひっかかって仕方がなかったんです。で、気持悪くてたまらないので、この書込みを削除しようとこの掲示板を今、開いたところだったんです。もっと早くに削除しに来るべきでした。
ごめんなさい。今、このことを考える気に全くなれないの。
ハタミホコさんには何が何だか訳が分からないでしょうけど、もう、忘れてください。気を悪くされるかも知れないけど、ハタミホコさんに何の落ち度もありませんから。本当にごめんなさい。後生だから忘れてください。お願いします。
> では私との違いがどこにあるのかと考えると、この感覚を持ちながら普通に社会生活するための切り替え能力に、決定的な違いがあるようです。高機能健常者は個人的な生活ではこの感覚を優先して自分にとっての快適な環境を作り、会社のような社会生活の部分ではそれを押さえて世間の常識にうまく従っています。
あー、私にぴったりあてはまっている。そうそう、で、「よい子」で過ごした後はどうなるかというと……たとえば、父母会の行事なんかでは、積極的に仕事を引き受けて、他人の話をニコニコ聞いて、やたら常識豊かで義理堅くて感情で他人をコントロールしようとするボス的女(=彼女のことを私は密かにハイパー健常者と呼んでいる)のご機嫌損ねないようにさんざん気を遣って、くだらん工作や料理も手を抜かずに手伝い、打ち上げなんかもしっかりつきあって……、で、家に帰ってくると、口も利けないほど疲れ果て、寝込んでしまいます。そういうときは、口を利くのって、すごく体力のいる仕事と感じます。
会社はそれほど他人に合わせる必要がないとこなので、仕事が忙しくて休日出勤しても、こんなに疲れません。それで、疲れたときはどうするかというと、寝転がったままお気に入りのビデオを何度も何度もくり返し見たり、ベランダのお花の手入れをしています。
♯PS
なんだかうっぷん晴らしになっちゃって、すみません。
コワイ女ハタミホコです。どうも(^_^;;
ああ、そんなにこわがんないで〜。無理強いはしないからさ〜。あきらめがよいうえ(これがだめならああするさ、という発想は豊かなほうだな)、押しが弱い性格なので、人を説得したり、他人に強い言葉で強制したりは苦手なのだ。仕事でどうしても(上司の指示などで)、他人をある方向にしむけないといけないときは、ひたすら謝る、謝って謝って、相手がしょうがないなという気になるまで待つ。ふだんは、どっちかというと、ノリで巻き込んじゃうタイプです。うーん、のり巻き女?
ところで、フリーラジカルさん、
> むう。やっぱりちひろさんと、同じ意見ですな。
> 前にハタミホコさんの娘さんの話が書き込まれましたが、やはり娘さんもコワイ女の子だ、と思いました。小学校のときにいた、ジャイアン少女を思い出させられました。
あれ、どこがコワかったんでしょう。よく思い出せません。教えてください(というか、思い出させてください)。
> > なんだか、タイトルが、電車みたいで楽しい。
> 連結。
> でも、書き込みの意味はちゃんとわかるし、
> 不適切な内容でもないと思うのですが。
リンコさん、megumiさん、その節はフォローありがとう。
「よかった〜。」って思ったんだけど、心の中で思っただけで書きこまないと伝わらないよね。
今頃になって、ごめんなさい。
実は私も内心、「電車みたい〜」って、楽しんでいたのでした。
連結〜
> >相手を生身の人間として受けとめるだけの共感度
> は私にはあると思うのですが、自分の領域に他人が入ってくることへの抵抗感はかなり強いのです。
普通と呼ばれている人の中にもこの感覚を持っている人はいるようです。
私にも話の合う普通の人、リンコさんがいう高機能健常者の知人がいます。おそらく一日中話をしていても互いに飽きないだろうし、自閉症スペクトルの概念を知ってから時々色々聞いてみると、その人もこの感覚を子供の時から持っていたようです。
では私との違いがどこにあるのかと考えると、この感覚を持ちながら普通に社会生活するための切り替え能力に、決定的な違いがあるようです。高機能健常者は個人的な生活ではこの感覚を優先して自分にとっての快適な環境を作り、会社のような社会生活の部分ではそれを押さえて世間の常識にうまく従っています。
高機能自閉者になると、個人的見解ですが、まず他人が入ってくることへの抵抗は勿論あって、更にある程度の経験を積まないと世間の常識のあり様がわかりません。これも時間が経てば部分的にはわかるようになって、こういう場合にはこうするものだと知識としては知るようになり、ここまでは何とか追いつけるのですが、ここから先の応用という時点で道が二つに分かれます。
私もある程度の年になる頃には、世間の常識を知識として頭でそこそこには理解できるようになりました。だけど、その知識を現実の社会生活で使うかといえば、知っていても使わない場合のほうが遥かに多くて、とても社会生活でだけは世間常識を優先するというような賢明な方法が取れません。
知っていても気に入らない場合はやらないし、大体は損するのがわかっていても本来の感覚を優先させるのです。確信犯として常識破りをします。あかん、とわかっていながらやってしまうのです。経験に学べない性格ではなくて、ほとんど全ての事をデータベースとして貯めこんで、それを検索しながら最適の方法を探し出しているのに、常識破りだけはどうにもなりません。
高機能健常者を見ていると、悩みはあるのだろうけれどその要領の良さが羨ましいという程ではないけれど、とても賢明だなとは思います。自分はこうは永久になれないし、その地点で、話は合うけれどこの人はやっぱり別世界に住む人だなと感じます。一日中だって話をしていられるけれど、話し終わった後に、楽しかったけれど話は結局の所通じていなかった、という虚しさのようなものが残ります。
伝わらない部分を言葉の量でうめていただけなのか、とも感じます。相手はそう思っていないようなので少し申し訳ない気持ちになりながら。その人が個人的な時間に付き合える相手は、きっと高機能自閉者だけなんだろうとも思います。高機能健常者では話の相手にならないような気がしますから。
ともあれ、高機能健常者と高機能自閉者は近い場所にいながらも、知っていながらどうしても常識には従えないという点で決定的に違っていて、その溝は結構深く一生飛び越えられないものだと個人的には思っています。
自分をある種類の納得できない型にはめ込むことが、どうしてもできないのです。自閉症スペクトル圏にある人が、とっても個人差が大きくて良く言えば個性的なのも、お仕着せへのはめ込みを頑として拒否するからかな、とも思っています。得な性格ではありませんが。
何か、気にいらないなあと思っていたら、題名だったのね。
人付き合いは苦手です。
↓
人付き合いは、したくないんです。
↓
人付き合いは、できるだけしたくないんです。
うんうん。このへんが妥当かなあ。
> それでいて、たまたま私が主催することになった行事のときは、すごく燃えました。ああ、矛盾している。しかし、他人が私の領域に、他人のペースや好みで入ってこられるのはいやだが、私の領域に私のペースで他人を引き込むことは好きなんだね。困ったやつです←自分。
ハタミホコさん、コ・ワ・イ・・・。
その時、必死で逃げ回っているのは「ちひろ」です。
必死で逃げている人を見たら、許してやってください。
前は、すぐに引きこまれていたが、最近少し逃げ上手になった。
人間、何歳になっても進歩するもんだ。
なーんだ、人とのつきあいが苦手な人ってたくさんいるんだ。
私が保育園でいちばんいやだったのが、父母会主催のいろんな行事です。とくに役員になってからは、参加どころか準備にも狩り出されて、それも、豚汁作ったり、くだらん紙工作を作ったり(ただのゴミにしかならん)、「なんでこんなつまらない行事のために貴重な日曜日つぶさんといけないの? といつも思っていました。でも、みんな楽しそうなんだよね。
それでいて、たまたま私が主催することになった行事のときは、すごく燃えました。ああ、矛盾している。しかし、他人が私の領域に、他人のペースや好みで入ってこられるのはいやだが、私の領域に私のペースで他人を引き込むことは好きなんだね。困ったやつです←自分。
※追伸
集団トイレ、いつからかばかばかしくなってやめて、勝手に行くことにしました。そのころは、私は人に好かれないという劣等感から抜け出して、「私は友だちなんぞいらない」と開き直ったころ。開き直ったとたんに、仲のよい少数の友だちができました。
> 私は
> >人と関わることに関心がない
> ってことはないんだけれど、人とのつきあいは苦手です。
私は、たぶんね、人には関心があるの、でも人と関わることに関心がないのかな。
> 中学生や高校生の頃、よく女の子はトイレに行きたくなくても、グループでトイレに一緒に行く習慣がありました。
> 「友達なら、トイレには一緒に行く」という暗黙のルール。
> これが私は嫌だった。
私は、誰にも誘われたことがないので、↑を読んで???
う〜ん、その前に、こんなルールがあることも知らなかった。
何を見ていたのでしょう。
この悩みはなかったっていうのは、私は幸せだった・・・と、一人で喜んでいる私。
> そして子供が生まれてからは、お互いの家を当たり前のようにいったりきたりする育児友達、公園友達に苦しめられました。
そうなのね。私みたいに友達がいないっていうのも幸せなんだ。
> やっぱり家族ぐるみのおつきあいと言われて、びびってしまったことが何度かあります。
↑これもない。夫も友達いない人だから。
なんて幸せな家族なんだ!
> >相手を生身の人間として受けとめるだけの共感度
> は私にはあると思うのですが、自分の領域に他人が入ってくることへの抵抗感はかなり強いのです。
↑人によっては、少しは「共感度」あると思うのですが、かなり勘違いした共感かもしれない。
「自分の領域に他人が入ってくることへの抵抗感」は、私も、かなり強いです。
もう、逃げ回っています。必死です。
には、行きたいときに、行きたい
ほんとうに、そうです。
いったい、トイレに一緒にいかないと
仲間外れになる国というのは、世界中に
どのくらいあるのか、真剣にしりたいものです。
家族ぐるみのつきあいは、あまり、したことがないです。
友情についての定義も国や、民族によって、
かなりちがっているとか、わたしは、この狭い日本でしか
暮らしたことがないけれど、フランス、イタリア
イラン、中国、アメリカ、ペルー、南アフリカ、
で、家族ぐるみの付き合いが濃い順番を上げてみる
事ができる人はいないでしょうか?
個人の濃いフランスなどで、家族ぐるみの
つきあいが、成立するかどうか。
そういう、個人の好みの問題を、問題視される
環境というのは実際生きにくい。
果たして、普通(健常)と言われるひとで
本当に、好きでトイレに集団で行っている人は
どのくらいいるのだろう?
と、昔から思っていたわたしは最近また疑問が
増えています。
私は
>人と関わることに関心がない
ってことはないんだけれど、人とのつきあいは苦手です。
中学生や高校生の頃、よく女の子はトイレに行きたくなくても、グループでトイレに一緒に行く習慣がありました。
「友達なら、トイレには一緒に行く」という暗黙のルール。
これが私は嫌だった。
トイレには行きたい時に行きたかった。
行きたくない時には行きたくなかった。
ひとりで勝手にトイレに行き、仲間はずれにされたこともあります。
今思うといろいろ掟があって、恐ろしい世界だった。
これから先、娘をそういう世界に送りだすと考えただけでぞっとします。
そして子供が生まれてからは、お互いの家を当たり前のようにいったりきたりする育児友達、公園友達に苦しめられました。
どうして一日中一緒にいなくちゃならないんだろう。
子供のためにと思って無理につきあっていたけれど、ずっと不思議だった。
みんな何でひとりでいられないのだろう?
やっぱり家族ぐるみのおつきあいと言われて、びびってしまったことが何度かあります。
>相手を生身の人間として受けとめるだけの共感度
は私にはあると思うのですが、自分の領域に他人が入ってくることへの抵抗感はかなり強いのです。
> 何も感じないように私はカチカチに握り拳を固めている。
> その指を無理矢理開こうとするのは、自分の子供だけでたくさんなんだ。
辛くさせてしまったみたいで、ゴメンナサイ!
> 良くやった! あなたはエライ!
> ※こんなことを誉める人は、私ぐらいなものだろうな!?
>
> でも、もう無理するのはやめましょうね!
> ※もしかして、こういうコメントって反社会的???
ありがとう、ペンギンさん。褒めてくれて。
それにごめんなさい。
私が一番謝らなきゃいけないのは、ペンギンさんに対してだと思う。
あなたが掲示板で怒ったり、泣いたり、仮面を付けたような発言をしたりするのは、私は見たくないんだ。何だか泥玉を投げつけられたような気がする。ごめん。苦しみを分けて欲しい、と思えなくて。
何も感じないように私はカチカチに握り拳を固めている。
その指を無理矢理開こうとするのは、自分の子供だけでたくさんなんだ。
> で、周りに集まってくる人にはニコニコ仮面で対処するようになった。
> それが人としての礼儀だという決めつけもあったし。
> こうして仮の「ひとなつっこい私」を慕って来てくれる人もでてきた。
良くやった! あなたはエライ!
※こんなことを誉める人は、私ぐらいなものだろうな!?
でも、もう無理するのはやめましょうね!
※もしかして、こういうコメントって反社会的???
そして社会人になって目撃し、体験したのは、孤立していると、トンだ不利な目に遭う、ということだった(今でも似たようなもんだが)。
怖かった。
で、周りに集まってくる人にはニコニコ仮面で対処するようになった。
それが人としての礼儀だという決めつけもあったし。
こうして仮の「ひとなつっこい私」を慕って来てくれる人もでてきた。
そういう人達のことを私は「トモダチ」だと思った。
でも私の中には、共通の関心事以外、相手を生身の人間として受けとめるだけの共感度のカケラもなかった。
私の周りに集まってきた人は、私にとって自衛のための、そして自己肯定のための「人間の盾」だったんだ。
一番の大嘘つきは私だったのかも知れない。
職場で親しくなった人から、あるときこう言われた。
「今度、あなたのご主人と一緒に、オートキャンプでも行かない?家族ぐるみでお付き合いしましょうよ。」
家族ぐるみでお付き合い?
光景を想像するだけでゾッとした。なぜだか分からないけど。
平日も人にさらされてグッタリきてるのに、休日まで一人でいられないなんて。それに私は家人と二人の単位で扱われるのは何だかとてもイヤだった(家人が嫌いなわけではない)。
越権行為、領海侵犯、という言葉が頭をよぎった。
一瞬で、彼女は私の表情からそれを読み取ったらしい。
私たちの関係は終わった。
彼女に言われた。「あなたは表面的には人懐っこくて、とてもイイ人だけれど、内面は人を拒絶する、とても冷たい人なのね。」
> だって、人と関わることに関心がなかったんだから、人との関わりかたが人と違うことに気がつくはずがないでしょう?
私、「人と関わることに関心がない」って気がついたのに、「人と関わることに関心がないことはマトモな人間じゃない」って考えてしまったんだ。それに「トモダチができない(寄ってこない)ことは、自分が何か間違ったことをしてるんだ」とも思ってた。
近付けない雰囲気を醸し出してることにも気付いてなかったし。
だから小学校5年のときに初めて、転校生がトモダチらしきものになってくれ、孤立している私に「あなたの考えは間違っていないと思う」と言われたときに嬉しかったのは、「トモダチができたこと」それ自体ではなく、自分が悪い人間なのではない、という証明のように思えたんだ。「自分は間違っていない」と考える自己正当化の手段にしてしまった。私って何てヤなやつなんだろう。
> なんだか、タイトルが、電車みたいで楽しい。
連結。
あの〜。削除機能がうまく働かなくて御免なさい。
でも、BBSの設計のことは良くわからないので……
でも、書き込みの意味はちゃんとわかるし、
不適切な内容でもないと思うのですが。
なんだか、気持ちが暗い時、服をえらぶととってもおばさんくさくなる・・・
でも、楽しい時は、それなりの服を選ぶんです
意味不明なこと書いてごめんなさい
なんだか、タイトルが、電車みたいで楽しい。
それだけです。ごめん。
1297、そんな変な感じしなかったけどな。もし、この内容で辛く思う人がいるとしたら、それは書き込みがつらくさせたんじゃなくて、その人にとっては現実がすでにつらいんじゃないかな。
私はねー、おんなじ「事実」を、時期によって明るいことに感じたり暗いことに感じたりするのだけれど、それは決して、私が不安定だからでなく、その「事実」の方が複雑な問題だからだと考えてる。
うわーっ。私の方こそわけわからないことかいてるぞ。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
ぜんぜん、訂正にはなってないな。
なんだか、こんがらがってきた。
削除もできないし・・・退場です。
> そんなことと知っていたら、子どもは2人でやめておくんだった。
一人で、やめていただろうな。
「2」という数字は嫌いだから。
[1297]を削除しようと思ったら、また、できなくなってしまった。
ここの掲示板と私は、相性が悪いのかもしれない。
なんだか、とってもイケナイコトを書いてしまったような気がして・・・まあ、やってしまったことは、しかたがない。 反省。
> > 他にも発達障害がある子供の親は多かれ少なかれ自分も含めて、かすっているかも(?)という先入観はあるかもしれませんね。
>
> でしょでしょでしょ〜〜〜〜。
> 先入観ではなく、事実だと思うなあ。
事実です。いっ〜ぱい、います。
ただ、残念なことに一人も診断書をもらっていないということです。
AS、ADHD、自分で知的障害だと言いきる、お母さんもいます。
難しいのが、過去に大きな事故をしていて後遺脳障害を疑われている人、それから強迫性障害と言われている人、子供の主治医に相談したら、「お母さんは、ちゃんと生活できているのだから大丈夫ですよ。」と言われた人、さまざまです。
中には、「あんたは、ASだよ。」っていう人が、全く自分では気がついていないと言う人もいます。
それから、子どもが3人いても、まわりの誰もが心配するほど、あきらかなADHDの人がいますが、本人が自分で気がつくまで、そっとしておくしかしかたがないのかなと思います。
それから遺伝の話ですが残念な事ですが、あるでしょう。
残念と自分で書いてしまう自分もイヤなヤツですが・・・ハハハ。
そんなことと知っていたら、子どもは2人でやめておくんだった。
末っ子の君、君のことは、大〜好きなんだよ。
子どもが全員、あるいは2人以上、障害があるという人も、たくさんいますよね。
でも、それなりに皆、生活してるんですよね。
これは暗い話では、ありませんよ、念のため。
> 他にも発達障害がある子供の親は多かれ少なかれ自分も含めて、かすっているかも(?)という先入観はあるかもしれませんね。
でしょでしょでしょ〜〜〜〜。
先入観ではなく、事実だと思うなあ。
疾風トホホサーカス団さんのHPなんて、一目見て「かするどころか、とっぷりつかりまくり〜」って思っちゃった。
(ごめんなさい、団長さん。いきなり引き合いに出して・・・。でも、金属キラキラよりも、水面キラキラが大好きな私にはピ〜ンときちゃいました。)
そういう目で観察すると、HPってオモシロイ。
きっと同じ地方出身の人同士が、どうしても言葉のなまりの違和感がないために引き合ってしまうのと同じで、ケのある人同士は引き合うんじゃないかと思う。そうやって決定遺伝子が(無意識のうちに人為選択が働いて)固定・濃縮してしまうんじゃないかな。
みんな、遠い故郷で吹く風の香りを忘れた同胞なんじゃないかと。
(注:無意識のうちに働く人為選択、っていうのは、ヘッケルの言う「より好みのない生物集団」っていう概念に相対する、最新の生物学上のトピックなんだ。ヒト同士のペアでも、相手の学歴とか、価値観とか、外見、等々、今まで言われてきた「パートナーとして選ぶ決定要因」のほかに、実は「嗅覚・匂い」という要素があるんじゃないかと。
異性に好感を持つのに実は「相手の匂い」が無意識に作用している(特に女性の側にとって)、とうのは、(「気持わるい」と思うひともいるかも知れないけど)オモシロイでしょう?
自閉症にある種の代謝異常があるのは間違いないらしい。代謝異常が体臭に反映するのは当然すぎるぐらい当然だもんね。
詳しく知りたいひとは
『においを操る遺伝子』 山崎邦郎著 工業調査会刊
をご参考あれ。
あああ、こんなとこで、何書いてんだろ。私。
> > これだと、1289の結論は「むみゅ。」だということになってしまう!
> >
> > どうするよ、文部省!
>
> というわけでリンコさんのさっきの文章は「文部省非認定」
ま、所詮文部省なんて「東の人」ですからな。
明治維新のとき、首都が京都に置かれてたら、いまごろこの文は文部省認定になってましたわ。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> でも、根本的に違うのは人との係わり方です。そして、それは本人が症状として意識していない事の中にあることが多いです。
>
そーなんですよねー、私が診断受けたときに、なんとなく納得いかなかったのは、「人との関わりかた」の違いを自分で認識してなかったからです。
だって、人と関わることに関心がなかったんだから、人との関わりかたが人と違うことに気がつくはずがないでしょう?
「でも先生、私、対人関係に問題なんかないですよー。だって対人関係ないもの」と、平然と言い放った前科のある私ですからね。
それで、診断が腑に落ちないまま、確認しようと思って、初めてANIの集会(オートリート)へ行って、一番ハマッた(居心地がいいと感じた)のは、仲間たちの存在自体ではなかったんです。ANIの規則とか、オートリートの規則とか、オートリートの運営の設計が、自閉向きに計算して作られていた、って点だったんです。
同じ自閉どうしだから出会えば即、共感するだろうとか、そんな単純に考えてもらったら困るんで、自然状態で放っておいたら、ANIのメンバーは交流なんぞできないし、あちこちでショートして黒こげが発生すると思うんです。それを防ぐための構造やルールがしっかり周知徹底されていて、その構造、ルールがめちゃくちゃ居心地よかったわけです。で、解散のときには、仲間との別れ以上に、その場を仕切っているルールとの別れが辛かったのを覚えています。
それはまあ何ていうか当たり前の話で、「自閉者が居易いように」という意識で設計されたルールだから、居心地がいいのは当然なわけです。
仲間たちとの間で、結局、自分の診断を確認することになったのは、きっかけは「こだわり」と「エコラリア」(くり返し好き)、それに「細部嗜好」それも、症状としてじゃなく、「芸風」的な部分でした。
だけど、適応に有利にも不利にもならないニュートラルな性質や、場面によって有利にも不利にもなりうる、あまりに基本的な性質は、「症状」とは考えられてないので、説明してもらえなかったり、本の中ではツイデのように書かれているでしょう。
告知を受けて納得できなかった理由は、その辺にあったのでした。
まわりから見てわかる症状と、本人が気がついていたり気にしていたりする症状とは、ずれてたりするんですよね。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> これだと、1289の結論は「むみゅ。」だということになってしまう!
>
> どうするよ、文部省!
というわけでリンコさんのさっきの文章は「文部省非認定」
> どうするよ、文部省!
イカン、ウケた。あと30分は笑える。こういうところで笑い発作でつぶれるから、「クラい」「ヘン」って言われるのかなあ。
ちょっと思う存分笑お。
いくらでも出てきます。例えば、視空間認知障害を始めとする認知の障害とか、発達性協調運動障害とか多動などは「自閉症」の兄弟によく見られます。それで、特にLDだとかADHDだとかいうわけでもありません。それから、アスペ的な性格だとかいう場合もあります。それから、こだわりの強い人というのもよく見られます。
でも、根本的に違うのは人との係わり方です。そして、それは本人が症状として意識していない事の中にあることが多いです。
これだと、1289の結論は「むみゅ。」だということになってしまう!
どうするよ、文部省!http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> なんてことはありません。むしろ、じゃんじゃんしゃべった方が良いと思います。何故なら、私は今までたくさんの親御さんを見て来て次の事を心配しているから。
> 本人からの視点、あるいは一般的な療育論のどちらでも同じなのですが、何らかの方法やモデルを提示すると必ず下のどちらかに偏ってしまうのです。
> タイプ1:何でもかんでも「自分の子ども」に当てはめて考えてしまう。
> タイプ2:類似点がないと「全く関係がない」と無視する。
>
たぶん、昨年、テンプル・グランディンさんが来日したときに、杉山先生が森口さんをよんだのも、今年、ドナ・ウィリアムズさんが来日したときに竹田先生がワシをよんだのも、そのためなんでしょうねー。
むみゅ。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
他にも発達障害がある子供の親は多かれ少なかれ自分も含めて、かすっているかも(?)という先入観はあるかもしれませんね。
ウチも私も家内も普通人(のはず)ですが、二人の自閉的な部分を寄せ集めると結構一人くらいの自閉君は作れるかもしれません。
具体的には私の「こだわりやすい性格」「理屈っぽいところ」「爪噛みがあった」「空中に字を書く癖がある」、そして家内の「片づけられない」「一度だけでは返事できないで必ず聞き返す」「とろい」「自分の体力がわからず無理しすぎて寝込む」などなどです。いかがでしょうか...?
なんてことはありません。むしろ、じゃんじゃんしゃべった方が良いと思います。何故なら、私は今までたくさんの親御さんを見て来て次の事を心配しているから。
本人からの視点、あるいは一般的な療育論のどちらでも同じなのですが、何らかの方法やモデルを提示すると必ず下のどちらかに偏ってしまうのです。
タイプ1:何でもかんでも「自分の子ども」に当てはめて考えてしまう。
タイプ2:類似点がないと「全く関係がない」と無視する。
色んな人が「私のバヤイ」をおしゃべりすれば、色んなタイプがあって色んな風に発達して行くのだということがわかるでしょう!?
わかってもらって、すごくれしいです。こちらこそ、困惑させてしまってすみませんでした。
おまけの一文を入れるときは、「これから先は余談ですが」とか、「ところで本論からは外れますが」って入れたらわかりやすいですね。これからそうします。自閉の人あてだからこう書こう、とか、普通の人あての文章だからこう書こう、とかいう意味ではありません。だれにとってもわかりやすい文章っていうのはあると思うし、私はそういう文章を書きたいのです。
>最後にきた文が、その人が一番主張したい点だっていう、文部省お墨付きの紋切り型の文章理解
これ、関西では当てはまらないっすよー。
それを当てはめたら、「ちゃん、ちゃん」とか「ドテッ」とかが結論になってしまう文章って、多いです。
むしろ、「一番最後の一文は、『オチ』かもしれない」と想定した方がいいのかも?
最後の一文を「オチ」にする目的は、緊張の緩和なんじゃないかと想像しているんですが。引っぱりつづけた分、抜いて、読者の精神状態を日常レベルに戻すことで責任をとる、っていうか、後片づけ、ってわけです。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
なるほど。さすが。鮮やかです。
にしても、難しい脳。じゃなくて、難しいのう。
ハタミホコさん、ごめんなさいね。私、最後にきた文が、その人が一番主張したい点だっていう、文部省お墨付きの紋切り型の文章理解をしてしまったんですね。
こうしてみたらどうだろう。
「私は普通人なんだけども、その割に、こと、勝負事に関して、娘と私はとても似ています」
って、頭の中で変換するの。
これは、ハタミホコさんにこう書けって言ってるんじゃなくて、私が読むときに頭の中でこう置きかえてみよう、って意味ね。
私が、つながっていると読み間違えた理由は、先に書いたとおり、自分がつながりを見落としがちであることを知っているので、それを意識で過剰に修正する習慣があるからです。
で、今度は「過剰修正を修正」しようとしているわけか。難しいのう。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
あの部分は飾りだとして、今、読み直しました。
解明しました。そういうことだったんですね。
納得しましたよ。わざわざ説明させてしまってすみません。
「普通人の生きた標本」も私は大歓迎です(って、この掲示板を私物化していいものか・・・。イカン、おしゃべりを自重しなきゃいけないのかな。>ペンギンさん、どうなのでしょう?)
え〜、つながってなかったんですか!!!!!!!!!
う〜む、む、む。寝込みそう・・・・・。
ハタミホコさんの解説を読んでから改めて解釈し直してみました。
「でも、私はたぶん、普通人でしょう」は、それまでの、ハタミホコさんの書き込み全体の内容から引き出されたものではなく、
「こと、勝負ごとに関して、娘と私はとても似ています。」だけとつながっているのね。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> うーん、フリーラジカルさんの書き込みの意味がよくわかりません。それに、「私はたぶん、普通人でしょう」ってことばは、全体の中では、まあ、飾りみたいなもんだから、それを「帰結」と言われても……。
>
いやー、私はフリーラジカルさんがどういうコースをたどったかはわからないけど、だけど、やっぱり、私も「えらく唐突な結論だなー」と思ったのは確かです。
つまりね。ハタミホコさんが「飾りみたいなもんだから」と書かれているのを見て初めて、「うわ、つながってなかったのか!」って思ったのでした。
少なくとも私の場合は、裏側でこんな事情が。
まず、私は、自分が部分部分に引きずられた読みをしがちであることを知っているし、気をつけている。
そのことから、「文がつながって並んでいたら、つながりを気をつけて読むんだぞー」と思っている。
すると、本当に「なんとなくオマケのように」「飾りみたいに」くっつけたものであっても、つながりを想定して、考えながら読む。
というわけで、自分が部分に引きずられることを知っているがゆえに、ない所にもつながりを過剰に読みとることが多いのです。
まあ、私はね。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> >私はたぶん、普通人でしょう。
>
> ハタミホコさん、こんにちは。
> ハタミホコさんの書込みの帰結を「私はたぶん、普通人でしょう」に持ってくるのは少し短絡すぎませんか。
うーん、フリーラジカルさんの書き込みの意味がよくわかりません。それに、「私はたぶん、普通人でしょう」ってことばは、全体の中では、まあ、飾りみたいなもんだから、それを「帰結」と言われても……。
娘と私はよく似たところがある、でも、(私は生活に困難はないのだから、あるエピソードが共通していたとしても)私はたぶん、普通人でしょう――ということなんですが。伝わってません? この()内の文は私の書き込みの中では省略していますが、私は困難を抱えている娘の親という立場で登場していますので、これは自明のことだと思ったのですが。
> このエピソードは、私が単なる一自閉者として取り上げたものなのです。ですから、私の「予定通りに対するこだわり」という解釈と違うからといって、必ずしもそれで「普通人」と「診断」することはできないんじゃないでしょうか?
> 何もこれ一つで診断が下せるわけはないでしょうし。
予定通りに対するこだわりという解釈と違うから自分を普通人と思ったわけじゃありません。上記のとおり、日常生活でとくべつ困ったことはないから、普通に違いないと思っているだけです。
> 私は多くの自閉者のなかの一人として、「生きた標本」を提示したかっただけなのです。(ちょっとおしゃべりすぎて印象が強すぎるかも知れませんが。)他の形の自閉の在り方を否定しているわけではありません。
私も普通人としての生きた標本を示しました。娘が勝負事において持っている一般人とはちょっと違う感じかたを、たまたま私も共通して持っているよということです。普通人ったって、頭からつま先まで全部普通って人ばかりじゃないですよね、きっと。私も普通とはちょっとはずれたところを持っているけど、そのおかげで、娘と分かりあえる部分も多いので、うれしいです。
で、私の書き込みの主題部分は、勝ち負けへのこだわりの一例を娘の例をとおして上げた部分で、その主題部分に関して「わかるわかる」とか「そういえば」とかいう言葉でも誰かからもらえればうれしいなと思っていたですが……。なんか、文章に自信なくなってきた(^_^;;; 私の意図が伝わった人、伝わんない人、それぞれ挙手してくだされ(^_^) とほほ。
[1271] が二重投稿になっている!
ウチのパソコンを接続する時に、ついうっかりそのまま「更新」ボタンを押すとそのまま投稿されてしまうものです。
すいません、管理人さん削除してください。
>私たちのスタンスの違いを乗り越えて社会にアピールしていくことの第一歩だと思っています。
この文、「私たちの」と「スタンスの」の間に「互いの」を挿入して捉えてください。
ペンギンさんがこれを再度投稿された意味がよく分かりません。
私に読解力がないということでしょうか。
「コミュニケーション能力がないやつは、これでも読んで黙っておれ」ということでしょうか。
私も「みんな違ってみんないい」と思っていますよ。
むしろ「違いを認め合えること」が、私たちのスタンスの違いを乗り越えて社会にアピールしていくことの第一歩だと思っています。
ハタミホコさんのように、「いや、ウチの子の場合は違う」というように、もっと他の仲間が声を上げてくれるのを私は待っているのですが。
もし私がこれ以上、私という特定の自閉者の在り方をペラペラまくしたて、「自閉者はこれで正解」のような印象を与えているのが気に食わない、というのであれば、そう教えてください。
>私はたぶん、普通人でしょう。
ハタミホコさん、こんにちは。
ハタミホコさんの書込みの帰結を「私はたぶん、普通人でしょう」に持ってくるのは少し短絡すぎませんか。
このエピソードは、私が単なる一自閉者として取り上げたものなのです。ですから、私の「予定通りに対するこだわり」という解釈と違うからといって、必ずしもそれで「普通人」と「診断」することはできないんじゃないでしょうか?
何もこれ一つで診断が下せるわけはないでしょうし。
私は多くの自閉者のなかの一人として、「生きた標本」を提示したかっただけなのです。(ちょっとおしゃべりすぎて印象が強すぎるかも知れませんが。)他の形の自閉の在り方を否定しているわけではありません。
> 一方団体競技については、そもそも団体競技にかかわることが難しいし、玉入れとか綱引きとかの単純なものでも、自分がやったことが勝敗にどう影響しているかわからないから、平気みたいです。負けても自分の失敗には思えないから。
で、団体競技で勝っても、それは自分への直接の評価じゃないから、うれしくもなんともないと。
フリーラジカルさん、こんにちは。
> オーストラリアの「アスペルガー症候群」の診断基準に「勝ち負けへの興味がない・少ない」とかいうの、ありましたね。
ウチの5歳児の場合は、勝ち負けへのかかわり方にに関しては次のようにはっきりしています。
団体競技の場合=勝ち負けに興味無し。
個人競技の場合=負けるのぜったいいや。
娘の場合、個人競技(トランプなどのゲーム類も含む)は、負けイコール失敗なのです。療育のときも、ゲーム類ではすごく熱くなってます。負けると必ず泣くし。とにかく失敗がいやなのね。
一方団体競技については、そもそも団体競技にかかわることが難しいし、玉入れとか綱引きとかの単純なものでも、自分がやったことが勝敗にどう影響しているかわからないから、平気みたいです。負けても自分の失敗には思えないから。
そろそろ年長クラスでは、「チーム」としての一体感なんてものを子どもたちは感じ始めているのだろうな。娘は難しいみたい。チームとしての一体感なんて感じられても感じられなくてもどちらでもいいと思うけど、よけいなトラブル避けるために、拍手と応援の仕方は覚えておいたほうが楽に過ごせるだろうね。
※かく言う私自身も、チームとしての一体感というものを感じたことがありません。そういうものを持てる人をうらやましいとも思いません。高校の体育祭りのとき、自分のクラスの人の勝ち負けに一喜一憂するクラスメートが「阿呆」に見えました(自分への評価じゃないのに、なんでいちいち感激する?)。礼儀なので拍手したけど。そういうわけで、今でもひいきの野球チームとかはないし、オリンピックも興味なし。
こと、勝負ごとに関して、娘と私はとても似ています。でも、私はたぶん、普通人でしょう。
これは私に向けられた言葉ではありませんね。
私は連邦市民が「みんな同じ」だとは思ってません。
だから繰り返し、念を押すように「私のバヤイ」を繰り返しているんです。
むしろ、それぞれが「違っていること」を大切にしたいと思っています。それが、今までさんざん「人と違うこと」で差別されてきた痛みを知る人間の最大の礼儀だと思うのです。
それに、
同じ「分類」という行為でも、
「違い」を見出して排除しようとする地球人のやり方ではなく、
あれこれ違っていても、「おんなじ」を見出して括る、というやり方をするのが、連邦市民のやり方のような気がします。
>言うでしょう「みんな違って、みんないい!」って。同じ一つの「診断」でくくられたからって、「みんな同じ」ではないのです。
オーストラリアの「アスペルガー症候群」の診断基準に「勝ち負けへの興味がない・少ない」とかいうの、ありましたね。
表面的に見える「ゲームに負けると癇癪を起す」状態に、一律な意味付けをするのは、無理があるのかも知れませんね。
ある自閉者にとって、これは「1番に対するこだわり」なのかも知れない。
また別の自閉者にとって、これはある種、「予定通りに対するこだわり」なのかも知れない。
では「本人」としてペンギンさんにお聞きしたいのですが、
ペンギンさんの「バヤイ」はどうなのでしょう。
ゲームに負けたとき、癇癪を起しませんか?
癇癪を起すとしたら、それを突き動かしているものはなんなんでしょう?
「自分がいつも正しい」ことに固執していませんか?
確かに、本人の意識としては、一番二番という序列よりも「自分の思った通り」とか「予定通り」とか「いつも同じ」ということの方が優先しています。
でも、概念化の仕方によってその理由付けが変わってきます。本人的には序列の概念が無いのに、結果として傍から見れば「定石=常勝」という風に解釈されることもある。けれど、本当に一番にこだわっている子もいるので、そういう場合には「後ろから一番」と言われても喜んだりする。或いは、自分がいつも「正しい」ことに固執する子もいる。
このように、表面的・行動的には同じでも「似て非なるもの」だったりします。それは、たくさんの本人たちを見ていると分かってきます。だから、色んな人が色んな「私のバヤイ」を声にして、「私」や「私の子供」はどれに一番近いか選べるようになればいいのです。
でも、今のところおしゃべりな本人があまりにも少ないので、それこそ「一つの定説」にみんながすがってしまっているというのが現状ではないでしょうか?
言うでしょう「みんな違って、みんないい!」って。同じ一つの「診断」でくくられたからって、「みんな同じ」ではないのです。
> ということで、アトウッド先生、「1番、2番」なんて序列は関係ないんです。少なくとも、私のバアイ。
> (と、こんなとこでアトウッド氏に語りかけて、ドーする?)
反論、こっちに書いてみたら?
↓ ↓ ↓
http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.tonyattwood.com/http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
「ガイドブック・アスペルガー症候群」に書いてあった特徴、「ゲームなどに負けると、異様なほど癇癪を起したりして怒る」を見て、家人は大笑い。二人麻雀、将棋、花札・・・。私を負かせたばっかりに、何度跳びかかられたことか・・・(笑)。
(注:私の母も私に何度も跳びかかられ、「もうお前とは将棋をしない!」と宣言したほどです。)
でもね、それはトニー・アトウッド氏が書かれているように「1番が好き」ということではないんです。人間の上下を意識しない(したくてもできない)のと同じで、序列は関係ないんですよ。少なくとも私の場合。
では何が原因か、と言うと、「急な予定変更」に等しいからなんです。「勝ち負け」よりも、「この一手をこう打ったら、相手はこう出る。だから次はこう打つ。すると相手は・・・」と綿密に自分の中で(勝手に)プロットを組んでいくのは「予定」なんです。その「予定」通りに事が運ばないことは、パニックにつながるんです。将棋のときなど、私が目論んだ「定石」通りに家人が打たないと、「そんなのリーズナブルじゃないってば!こっちの手の方がいいよ!」と、わざわざ家人を「勝ち」に誘導して、自分は負けたのに得意満面で勝ち誇った気分になってること、よくあります。
娘はパズルができないと、「ふんぎ〜」と癇癪を起して、パズルのピースをラグの下に隠したり、ベランダの外に放って、「存在しないこと」にしようとしています。
ということで、アトウッド先生、「1番、2番」なんて序列は関係ないんです。少なくとも、私のバアイ。
(と、こんなとこでアトウッド氏に語りかけて、ドーする?)
sipponaさん
うちの子も、前に掲示板の方へ書かせていただきましたが、
3歳10ヶ月の時、発達検査を言語教室で行いました
結果は軽度から中度の知的障害、言語理解一歳以下です
それで、臨床心理士の先生の所へうかがったら、4歳3ヶ月の時、
1歳10ヶ月の診断通り、知的には問題ありません
私が保証しますとのこと
これを、言語教室の先生にお話したら(聞かれたので)
うちでの発達検査とこんなにも差があるのでは・・・と
とっても悩んだようです
違う言語教室にいったらみたいに言われて・・・
発達検査の結果を否定しているわけではなかったのに
少しこじれてしまいました
JJさん、私も同じです。でも普通の人でも程度こそ違っても同じ状態になるらしいですよ。
行き先を適切に告げたり、道順をきちんと言えたり、料金を手際よく支払うというのは、「自分の行動を見通して順序よく構成する力」がないと、なかなかうまくいかないらしんです。
それに加え、こういう構成力がないことは、子供のときからの経験で叩き込まれているから、ヘンなコンプレックスがあるのかも知れません。
さらに、「私が次にとる行動を運転手が待っている」状態なのは、他の人の注意を一身に浴びているのと同じ状態になりますよね。多分、連邦市民はこの「注意を一身に浴びている状態」に弱いんじゃないかな。極端な「上がり性」と言えるかもしれない。
私も勤め先で同僚が次のステップの作業を先にすませて、こちらの手先を見ている、なんて時は、すごくオカシくなります。これは注意欠陥障害のためだと思うけど、集中しようとすればするほど、ノイズ(音刺激だけじゃなくて、他の雑念とかの刺激も含め)が入ってきて、かえってしくじったりする。
前に一緒に働いた「仲間」に「こうやって待ってるからって、焦らなくていいだってば。自分のペースで仕事すればいいんだよ。」って言われたときに、単純にも「あ、そーなのか。人を待たせてもいいのか!」って思いましたよ。
今にして思えば、この「仲間」は(おそらく)「自分は自閉性圏の人間である」という自覚があったので、こんなアドバイスをちょくちょくしてくれました。
発達検査?
いやあ・・・うちのお嬢さんだと全く検査にならない時が有り(3歳頃)
次に有った時はそこそこ成長してたのでなんとか課題に乗ってくれ
ましたが、結果はこれって喜べる?という結果。
要はIQは正常範囲(しかし視覚と言語の数値が50も離れてたのだ)
DQの社会性は1歳台。(当時4歳超えてた)
それでやっぱり『自閉症』な娘なのに手帳は出ないときた。
これでいいのか?発達検査?
知的な部分以外の自閉症の診断スケールが必要だと思っております。
CARSは感覚的な部分が緩和されてくると軽く出がちですし・・・。
> 相変わらず休憩中の私ですが、一言。
>
> 先週、4歳5ヶ月の娘の発達検査がありました。
> で、その検査はいつも療育を担当していただいてる先生がやってくれたんですが・・・。まず、部屋がマズかった。
>
> とても狭くて、強制換気の音がウルサいんですよ。
> 入った瞬間に「マズイかな」と思った。
> 1年前だと、換気扇とか、ボイラー室の音とか、全くだめでしたから。
> でも娘の聴覚過敏は劇的に緩和してるから「大丈夫かな〜」って。
> (情けないことに、親の私の方が重篤。)
> でもやっぱりダメでした。検査が始まってすぐ、娘のお尻はイスから浮いてるの。ソワソワしっぱなし。
> その検査者からの指示にほとんどチューニングが合ってない。
> はては検査道具で勝手に一人で遊び出す始末。
>
> で、もう一つ。その検査者はいつもは療育で「遊んでもらってる」人だもんね。朝、家を出る前からすっかり「お遊びモード」なんだもん。いつ、自分の流儀に従って遊んでくれるか?って待ってたみたいでした。
>
> で、検査結果の発達年齢は3歳5ヶ月でした。
> でもね、発達検査で計れない部分に「遅れ」というか、「特殊性」があるタイプの子だと、発達検査って「意味ないじゃ〜ん」。
>
> はあ〜、まとまらない書き込みですみません。
> でも、まとまらないの、カオス状態なのが本来の私だな。
>
■ 「けやき」10月例会 (2000.10.14) カニングハム・久子先生講演会 ■
--------------------------------------------------------------------
「けやき」10月例会 カニングハム・久子 先生 講演会
演 題 : 「成人したLD,ADHD児たち」
LD教育の「先進国」である米国で、LD,ADHDと診断され、特殊教育
のサービスを受けてきた子どもたちの予後についてお話をしていただく予定
です。また、高校・大学レベルでの教育支援、社会に出てからの支援などに
ついてもふれていただく予定です。
日 時 : 2000年10月14日(土) 14:00〜16:30 (受付 13:30〜)
会 場 : 東京いきいきらいふ推進センター 講習室
セントラルプラザ6階 新宿区神楽河岸 1-1
JR総武線・地下鉄有楽町線/東西線「飯田橋駅」下車すぐ
[地 図] http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.ikiiki-joho.metro.tokyo.jp/map.htm
●「けやき」会員以外の方の参加申し込みは、下記要領でお願いします。
参加者氏名・住所・連絡先(電話番号)・所属を明記のうえE-mailで。
なお、「件名(Subject)」は、「講演会申込み」としてください。
定員になり次第締め切りとなります。資料代1,000円(当日納入)
申し込み先 E-mail: keyaki@box.club.ne.jp
--------------
カニングハム・久子 先生 経歴ご紹介
同志社女子大学卒業後、ニューヨーク州立ハンター大学にて修士号(特殊教
育)取得。
1972〜1996年 ニューヨーク医科大学教官を経て、ニューヨーク州ウェスト
チェスター郡立医療センター視聴覚臨床センター教育プログ
ラム主任。
1982年〜現在 「SPEAC ニューヨーク臨床教育父母の会」主宰。日米教育関
連機関の教育コンサルタント。
1974年 全米精神遅滞研究協会第10地域最優秀臨床教育賞受賞。
1990年 日本顕彰会より国際的貢献の分野で受賞。
1992年 United to Serve America よりアメリカ社会への貢献が認められダ
イアモンド賞受賞。
1992年 日米教育交流の促進に尽力したことにより外務大臣賞受賞。
− 著 書 −
「そして挑戦の日々」 日本放送協会出版会 1984
「海外子女教育事情」 新潮選書 1988
「変貌する家族」:「異文化の中の家族」 第6巻 岩波書店 1992
「ニューヨーク障害児教育事情」学習研究社 1992
− 翻 訳 −
「我自閉症に生まれて」 テンプル・グランディン 学習研究社 1994
「自閉症の才能開発」 テンプル・グランディン 学習研究社 1997
http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/
TVで放送された中では、そういうコメントはなくて
ほっとしていたのに。
話題が変わってすみません。
何となく、フジテレビの「あるある大辞典(http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.ktv.co.jp/ARUARU/index.html)」
のindexの第197回8/27『音楽』のHPを見ていたら、以下のような記述がありました。情報番組にもかかわらず自閉症は「心を閉ざしてしまった人達」と宣伝をしています。どうにかして欲しいなあ。何でなんだろう。もう少し勉強してもらわないと困ります。
「更に音楽の癒し効果を医療の現場で活用するのが「音楽療法士」!
老人性痴呆症の方や、自閉症などで心を閉ざしてしまった人達に、音楽という言葉を越えたコミュニケーションを使い、治療を進めていく。」
> タクシーは・・・小さな声で質問しますけど・・・どうやって大型と小型と見分けているのかしら!?
> 普通の人は瞬時にわかるものなのかしら!?
> 別に何に乗ってもいいんだけど、たまに大型に一人で乗ってしまった場合に、降りるときに運転手さんに「まあ、小型の運賃でいいわ。」と言われることがある。
> 喜べばいいんだろうけど、気持ち的に負担なの。
>
> 他には、行き先の説明がヘタクソとか・・・
> 降りるときに、さっさと料金が払えないとか・・・
> いろいろ〜。
>
えーっ!
タクシーって2種類あったんですね。知りませんでした。
私はタクシーに頻繁に乗りません。ですから乗る時は
乗ろうとする一番近いタクシー乗り場から乗ります。
行先を告げる前に出発されると少しパニックになります。
乗り込んで座って少し落ち着いてからでないと行先がうまく
言えないことが多いです。
もちろんうまくいくこともあります。
行先を復唱しながら乗り込むのです。
料金はデジタルで刻々変わっていくので表示されている
お金を払えばいいのかなと思う程度です。(じーっと見てしまいます)
(小型に乗れば料金は安いのですか?)
乗ってから財布をだしてデジタルで表示される額を
変わるたびにその額を支払えるように用意するのです。
停車直前で料金が変わったときはあわてますが・・・
長々と書いてしまいました。
タクシーの話題だけでもまだまだあるのですが
文章が苦手ですのですこし疲れました。
解りにくい文章ですいません。
> タクシーは・・・小さな声で質問しますけど・・・どうやって大型と小型と見分けているのかしら!?
> 普通の人は瞬時にわかるものなのかしら!?
> 別に何に乗ってもいいんだけど、たまに大型に一人で乗ってしまった場合に、降りるときに運転手さんに「まあ、小型の運賃でいいわ。」と言われることがある。
> 喜べばいいんだろうけど、気持ち的に負担なの。
>
> 他には、行き先の説明がヘタクソとか・・・
> 降りるときに、さっさと料金が払えないとか・・・
> いろいろ〜。
これって、普通だと思う自分も含めて同じようなことは有りますね。大型と小型はあまり意識していないと気付かない。着いてから、あるいは後で「あ、小型なら安いのか」と思う程度。小心者で見栄っ張りだから「小型の値段で」なんて言い出せない。(ちひろさんのほうが主張できていてすごい)それに目的地は、わかりやすい建物の近くとかでないとうまく説明できないですよね。目印になりそうな物をなんとか言ったのにわからなかったりするとお手上げですね。もう信号ごとに右とか左とか指示するような感じでしょうか。降りる時の支払いもスムースにしないといけないようなプレッシャー有りますよね。スーパーなら小銭を探して多少レジのおばさんを待たせることが出来るのに、なぜだかタクシーはサッとお札を出して降りないといけないような気持ちにさせられてしまう。これってみんな感じているように思いますね。
「嫌だ〜!」って書いときながら、レスを見てしまうと書いてしまう私。
> わたしはバスもタクシーも電車も飛行機も新幹線も苦手です。
> 自分で運転して移動するのが一番精神が安定しています。
自分で運転できないから、電車に乗るスキルを身につけたんだな。
そしたら、結構好きになった。
電車だったら、4時間はボ〜ッとして窓の外を見ていられるな〜。
今は、なかなか行けないけど、旅行する時も、わざわざ各駅停車に乗って8時間とかかけて、目的地に着く私。
> 切符を買ったり到着地点を告げるのは精神的にどうもよくありません。
> バスの場合は目的地を過ぎてからあっ、あそこで降りるんだったとかよく終点まで乗ってたりしました。
> タクシーの場合は乗ってからどちらまでって聞かれるとすぐに返事が出来ない時があるのでいやです。
> 電車の場合は切符を買うのにも時間がかかるし上下線で行先とちがう電車に乗ったりするのでもうパニックになります。
バスの場合は、すべてが嫌。
タクシーは・・・小さな声で質問しますけど・・・どうやって大型と小型と見分けているのかしら!?
普通の人は瞬時にわかるものなのかしら!?
別に何に乗ってもいいんだけど、たまに大型に一人で乗ってしまった場合に、降りるときに運転手さんに「まあ、小型の運賃でいいわ。」と言われることがある。
喜べばいいんだろうけど、気持ち的に負担なの。
他には、行き先の説明がヘタクソとか・・・
降りるときに、さっさと料金が払えないとか・・・
いろいろ〜。
あっ、今、書いたことすぐに忘れよ〜っと!
情緒不安定になりそう、自業自得だが・・・
> > でもさ、もっと実生活に役立つことで物知りだったら、なにかと便利で得だろうなあ! 銀行や郵便局での身の処し方とか、タクシーの乗り方とか、バスの降り方とか!
>
> 「タクシーとバスの件、後で書く。」って、書いてしまったから少し書いておこう。
> 実は、いろいろ書いてたら笑い話が、だんだん辛くなってきて書くのが嫌になってきたんだ。
>
> 「タクシーもバスも嫌いなの〜!電車が好きなの〜!
> だって、線路の上しか走らないってわかってるもん!
> だいたい、タクシーとバスって、どれに乗ったらいいのかよくわからないし〜!」
>
> 以上
わたしはバスもタクシーも電車も飛行機も新幹線も苦手です。
自分で運転して移動するのが一番精神が安定しています。
切符を買ったり到着地点を告げるのは精神的にどうもよくありません。
バスの場合は目的地を過ぎてからあっ、あそこで降りるんだったとかよく終点まで乗ってたりしました。
タクシーの場合は乗ってからどちらまでって聞かれるとすぐに返事が出来ない時があるのでいやです。
電車の場合は切符を買うのにも時間がかかるし上下線で行先とちがう電車に乗ったりするのでもうパニックになります。
飛行機と新幹線は話が長くなるのでカットします。
読みづらい文章ですいません。
> でもさ、もっと実生活に役立つことで物知りだったら、なにかと便利で得だろうなあ! 銀行や郵便局での身の処し方とか、タクシーの乗り方とか、バスの降り方とか!
「タクシーとバスの件、後で書く。」って、書いてしまったから少し書いておこう。
実は、いろいろ書いてたら笑い話が、だんだん辛くなってきて書くのが嫌になってきたんだ。
「タクシーもバスも嫌いなの〜!電車が好きなの〜!
だって、線路の上しか走らないってわかってるもん!
だいたい、タクシーとバスって、どれに乗ったらいいのかよくわからないし〜!」
以上
相変わらず休憩中の私ですが、一言。
先週、4歳5ヶ月の娘の発達検査がありました。
で、その検査はいつも療育を担当していただいてる先生がやってくれたんですが・・・。まず、部屋がマズかった。
とても狭くて、強制換気の音がウルサいんですよ。
入った瞬間に「マズイかな」と思った。
1年前だと、換気扇とか、ボイラー室の音とか、全くだめでしたから。
でも娘の聴覚過敏は劇的に緩和してるから「大丈夫かな〜」って。
(情けないことに、親の私の方が重篤。)
でもやっぱりダメでした。検査が始まってすぐ、娘のお尻はイスから浮いてるの。ソワソワしっぱなし。
その検査者からの指示にほとんどチューニングが合ってない。
はては検査道具で勝手に一人で遊び出す始末。
で、もう一つ。その検査者はいつもは療育で「遊んでもらってる」人だもんね。朝、家を出る前からすっかり「お遊びモード」なんだもん。いつ、自分の流儀に従って遊んでくれるか?って待ってたみたいでした。
で、検査結果の発達年齢は3歳5ヶ月でした。
でもね、発達検査で計れない部分に「遅れ」というか、「特殊性」があるタイプの子だと、発達検査って「意味ないじゃ〜ん」。
はあ〜、まとまらない書き込みですみません。
でも、まとまらないの、カオス状態なのが本来の私だな。
> 削除しました。
ありがとう。
> また、子どもが騒いでる。
あははは、ははー。負けるなー>親http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> はい、メールします。
>
> すみませんが、お暇なときでいいですから、1243を削除しておいていただけると嬉しいんですが(笑)
削除しました。
また、子どもが騒いでる。
当分ダメだ、コリャ!!
はい、メールします。
すみませんが、お暇なときでいいですから、1243を削除しておいていただけると嬉しいんですが(笑)http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> > 実は、
> >
> > グニラ・ガーランド著・ニキ・リンコ訳
> > 「ずっと『普通』になりたかった。」(花風社刊)
> >
> > の、原書を読みたいと思っているのです。
> >
> > これって、訳した人に失礼なのかな!?
> > 失礼だったら、ごめんね。無視してね。
> >
> えーっと。別に失礼ではないですが、
> この場所じゃ書きにくい〜
なんだか、ややこしいことになってしまった。
その上、子どもが呼んでいる。
とりあえず、よかったら↑こちらへ!!
削除したけど、遅かった・・・http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> 実は、
>
> グニラ・ガーランド著・ニキ・リンコ訳
> 「ずっと『普通』になりたかった。」(花風社刊)
>
> の、原書を読みたいと思っているのです。
>
> これって、訳した人に失礼なのかな!?
> 失礼だったら、ごめんね。無視してね。
>
えーっと。別に失礼ではないですが、
この場所じゃ書きにくい〜
http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
実は、
グニラ・ガーランド著・ニキ・リンコ訳
「ずっと『普通』になりたかった。」(花風社刊)
の、原書を読みたいと思っているのです。
これって、訳した人に失礼なのかな!?
失礼だったら、ごめんね。無視してね。
花風社に、「どうしたら、原書が手に入りますか!?」ってメールを送って、早3日、少し筋違いだったかな!?
大手の書店か洋書屋さん(?)に、問い合わせた方がいいのかしら!?
世間知らずなもので、知ってる方教えてください。
この本、読んで、「わっ、何この人、これ私じゃないよ〜!!」って叫びたくなったんだけど、単に性格が似てるだけだったりして。(笑)
ふてぶてしい性格(笑)らしいんだけど、ぜんぜんそうは思わなかったな〜。
微妙な言葉のニュアンスを知りたいので、辞書、片手に読んでみようかと・・・
何かヘン、と思った。食べ物がおいしくないのよ。
そんなー。食べ物のマズイことで有名なアメリカで、ロクでもない物ばかり食べていたのに。なぜ?
ハシでした。
アメリカ旅行中は、手づかみか、ナイフとフォークか、スプーンでした。
ハシ使うのに、頭使ってるんですよね、私。だから、ハシ持ってると、舌に気持ちが行かないから、味がなかなかわからない。
自慢じゃないが、私はハシの使いかた、上手な方です。食べかた、キレイです。でも・・・ ハシ使うの、苦痛なんです。口の中の物の味を楽しむのと、両立しないみたい。
昼、スパゲティにしました(笑)。フォークで食べた。
何か、どんどん自分を甘やかしたくなってくる。マジで筆談用のキーボードが欲しくなってしまったり。上肢障害者用台所グッズとか、老人用風呂グッズとか、いろいろ研究してみようかなあ。
だって私、普通に生活をするだけでイロイロ大変で、仕事したり物を考えたりするエネルギーが残らなかったり、疲れて不幸になったりするんだよ。何か、「生きる時間」がもったいないような気がしてさ。
http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> ただ、「できないことを説明するとすぐ通じる」というか、「すぐに信じてもらえる」っていう感じはします。たとえば私、小切手のミシン目をちぎれなかったり、ペンをペン立てに刺せなかったりするので、堂々と頼んで人にやってもらっていました。日本でこれやると、一回は「え?」って聞き返されることが多いんですよね。だからすぐ、頼まなくなっちゃう。それが、すぐやってもらえたりする。頼んだこと以外はしないでくれるし、あれこれ質問もされないし。
↑そうそう、これこれ、これがありさえすれば、かなり生きやすいよね。
ウチの子が通ってる小学校のPTA役員の皆様、私のできることは、せいいっぱいやっています。
できないことを、無理やり、やらせるのはやめてください。
怠けているわけではないのです。
人には、得手、不得手があるのです。(私は、特に。)
小学生じゃああるまいし、いい大人なんだから、みんないっしょ平等はやめましょう。
・・・あは、誰も見てないか!?
見てたら書けないけど、やっぱり単なる「わがまま」と、とられるから。
「子ども」までつくってたら、もっと誰も信じてくれないゾ!!
ここで、少し謝らなきゃぁ。
私が認知に問題があるっていうことは、信じてくれている人が何人かいる。年に数回だけだけど、助けてもらってる。
一人だけいい思いして、ごめんなさい。
やっぱりね、お子さんに障害があったり、または障害とはいえないまでも、LDかなADHDかなって思えるお子さんがいたりする。
やっぱり身をもって感じている人たちは、わかりが早い。
> でも、私も行きの飛行機の中で、隣に座った黒人のオジイサンの再入国カードを代わりに書いてあげたり、機内食のメニューを読み上げてあげたりしました。オジイサンも、平然と、堂々と頼むんですよ。言い訳がましくもなんともなく。私が絶対すぐに手伝うのを疑ってないって感じで。何か頼み慣れてる感じがした。
>でも、少なくとも、見知らぬ人にアシストを頼みやすかった、心理的に壁が低かったのは確かです。
↑どこの国でも、こうなればいいよね。
「一人で外国へ行けるし」なんて自分で書いておいてナンだけど、イギリスやアメリカ、カナダ、オランダ等へ行くのはそんなに大変なことではないです。いったん成田を立ってしまえば。
今回のアメリカ行きでは、ずっと服にバッジつけてました。
Autistic and Proud (自閉者であることを誇らしく思っている)
I AM AUTISTIC and I HAVE a life! (自閉者には自閉者の人生がある)
と印刷されたバッジです。
それでですねー、厚紙7枚に
「私は話せませんが聞こえます。私は筆談をしますが、音声で話してください」
「聴覚が過敏です。大きな声を出さないでください」
「触覚に異常があります。触らないでください」
「態度は変かもしれませんが、暴力はふるいません。無害です」
「急がせないでください。情報処理に時間がかかります」
「動きが変なのは、障害のせいです。私は酒に酔っていません。麻薬も使っていません」
「疲れているだけです。病気ではありません。一人にしておいてください」
と書いたものを、非常用にと思って持ち歩いていました。まあ、1と5しか使わなかったし、それもめったに使いませんでしたけどね(笑)。
それはともかく、会う人は親切だったです。挙動不審だと親切にしてくれるのか? バッジの威力か? それとも小柄で童顔の東洋人だから子どもと間違えられてただけか?
(まあ、脳ミソに障害がなくたって、小柄で非力なせいで助けてもらわないといけないことも多いのだけれど。カードで支払ってサインしようと思ったら、カウンタで晒し首状態になったり、食べ放題の朝ごはんの牛乳の容れモノが重くて持ち上げられなかったり、開けたつもりのドアが重くてはさまったり)
ただ、「できないことを説明するとすぐ通じる」というか、「すぐに信じてもらえる」っていう感じはします。たとえば私、小切手のミシン目をちぎれなかったり、ペンをペン立てに刺せなかったりするので、堂々と頼んで人にやってもらっていました。日本でこれやると、一回は「え?」って聞き返されることが多いんですよね。だからすぐ、頼まなくなっちゃう。それが、すぐやってもらえたりする。頼んだこと以外はしないでくれるし、あれこれ質問もされないし。
街中には車椅子や三輪スクーターの人がとにかく多いから、お店の人とかタクシーの人とか、「ちょっと不自由のある人」を見慣れてるのかもしれませんね。
でも、私も行きの飛行機の中で、隣に座った黒人のオジイサンの再入国カードを代わりに書いてあげたり、機内食のメニューを読み上げてあげたりしました。オジイサンも、平然と、堂々と頼むんですよ。言い訳がましくもなんともなく。私が絶対すぐに手伝うのを疑ってないって感じで。何か頼み慣れてる感じがした。
いつも、崩れるのは日本の空港に着いてからです。
別に、外国がいいとか日本はダメとか言うつもりじゃないですよ。国によってはひでー目にあったとこだってあるし、今回のアメリカでも、別の面では不満も辛かったこともいっぱいあったもの。でも、少なくとも、見知らぬ人にアシストを頼みやすかった、心理的に壁が低かったのは確かです。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> 私は落とし物を拾うのが苦手です。
>
> 拾ったら届けなくてはならない。
>
> 届けると決めたら、届けるためには、怪しくない態度をとらなければならない。
>
> そして、拾った場所をマトモに説明できなくてはならない。(奇声と指差しでは通用しないのだ!)
>
> 拾った人がお礼をしたいと言ってこられたら困る。怖い。そんな接触したくない。
>
> 書類には、オタオタせずに、正しく記入しなくてはならない。
>
> 警察に届け終わったら、迷わずに外に出なければならない。
落とした人がお礼にくることまでは考えたことはないが、なるべく落し物には出会いたくない。
夫が、落し物を拾って持っていったとき(この時はサイフ)は、すごく感じのいい警察所だったと言っていたのに、私が持っていったときは、不信尋問されてるみたいだった。
持っていったものが一万円札だったのもいけなかったかな。
だって、私に向かって飛んできたんだもん。
あとは、↑のような、状況で怪しい人に見えたかもしれない。
> *********
> 落とし物を届けるときに、ウソの連絡先を書いたら、罪になるんだろうか。
落し物を拾わなくても罪にはならないと思うから、拾わないと心に決めている。
> 本格的に病気になったりする前に、病院に行くスキルを身につけておきたいと思ったりもするんですが、指導してくれる人、解説してくれる人を見つける方法もありません。この年になって、しかも、法律的には「健常者」なんですしね。
>
> だいたい、病院とか郵便局とか銀行とかいう場所って、認知の障害を持った人間にとって、全然アクセシブルじゃないじゃないですか。
>
> 私が外出して用事をこなすには、介助者が必要です。
私が、とっても、とっても、と〜っても、ありがたかった経験。
私は「被爆2世」なのね。 きゃっ、「バビル2世」みたい!
「被爆2世」っていうのは、ただ単に母親が「被爆者」だっていうだけなんだけど・・・
それで、「被爆2世の健康診断」の案内が来て「総合病院」へ行きました。これが、私の「初、総合病院受診体験」
今は、前にも書いた通り、「病院ボランティアさん」がいるの。
病院ボランティアさんっていうのは、玄関のところにいて声をかけてくれる。特に挙動不審の人には、すぐに声をかけてくれる。
そして、総合受付の利用の仕方を教えてくれて、書類を書けない人には書いてくれるし、総合受付まで案内してくれる。
普通は、ここで「さようなら」して、後は自分でしなくてはいけない。
ところが、この時は病院ボランティアさん、何を勘違いしたのか「被爆2世」が、よほど重い病気だと思ったのか、ず〜っと、私について来てくれたの。
それで、待っている間も診察室に声をかけて、「遅いですね、あともう5人ですからね。」とか教えてくれたりして、私の不安を和らげてくれた。
ありがたかったよ〜!!
今、ふっと思ったんだけど、ず〜っと、ついておかないといけないぐらい、私が「挙動不審」だったのではないだろうな。
こういうのをLingkoさんが、確実に利用する方法があったらいいのだけれど・・・。
私は落とし物を拾うのが苦手です。
拾ったら届けなくてはならない。
ところが、あまり些細なもの、あまり小額のお金を届けると、怪しまれたり、イタズラと思われたりする。しかし私には、いくら以上の金銭なら届けてもあやしまれないのかがわからない。警察のおもてにでも貼っておけよ!
しかも、私の考える「大事そうなもの」は、社会で「大切なもの」と考えられているとは限らない。私が「誰かが探してパニクっているかも」と思うものは、実はゴミだったりする。
届けると決めたら、届けるためには、怪しくない態度をとらなければならない。
そして、拾った場所をマトモに説明できなくてはならない。(奇声と指差しでは通用しないのだ!)
拾った人がお礼をしたいと言ってこられたら困る。怖い。そんな接触したくない。
書類には、オタオタせずに、正しく記入しなくてはならない。
警察に届け終わったら、迷わずに外に出なければならない。
*********
これだけの課題をこなすことを考えると、路上で落とし物を見つけてしまった私は、その場で死んでしまいたくなる。「生まれてこなければ良かった」と思ってしくしく泣きだしてしまう。そうすると警備の人に怪しまれる。
悪いことに、私は目がいいらしい。よくモノを拾う。お金とか財布とか免許証とか航空券とかビー玉とかぬいぐるみとか子どもの工作の作品らしいものとか毛糸のきれっぱしとかガラスの指輪とかチョコの包み紙とか。
昔、財布を届けたとき、後でお礼の手紙を頂いた。それから、お礼の連絡がすっかり怖くなってしまった。いまでも、高額のお金を届けると、お礼の連絡があるといやだから、夜逃げしたいなあ、でも引っ越しはいやだなあ、とか思ってしまう。時効になる日まで、何となく不安がとれない。
落とし物を届けるときに、ウソの連絡先を書いたら、罪になるんだろうか。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> 病院はもう、あきらめてますんで、
> 10年くらい行ってないです。怖いなあ。
>
> 何かあったらどうするつもりなんだ???
自己レス。
「あなたは結婚もしてるし仕事もあるし、外国にだって一人で行けるんだから問題ないでしょう」とか「うらやましい」「ぜいたくだ」とか簡単そうに言われる皆さん。
病院に行けないから10年間病院に行ってないってのは、全然大丈夫なことじゃないです。
今、生活が何とか回っていっているのは、ただの「幸運」だと思います。「恵まれているのに」って言われればそれはその通りです、認めます。でも、「今、たまたま恵まれているだけ」っていう状況って、常に不安と隣合わせってことです。こうしていられるのも健康な間だけだろうなあ、とヒシヒシと感じてるんですもの。その不安を、世間は「ぜいたく」と呼ぶ。
本格的に病気になったりする前に、病院に行くスキルを身につけておきたいと思ったりもするんですが、指導してくれる人、解説してくれる人を見つける方法もありません。この年になって、しかも、法律的には「健常者」なんですしね。
だいたい、病院とか郵便局とか銀行とかいう場所って、認知の障害を持った人間にとって、全然アクセシブルじゃないじゃないですか。
私が外出して用事をこなすには、介助者が必要です。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
病院はもう、あきらめてますんで、
10年くらい行ってないです。怖いなあ。
何かあったらどうするつもりなんだ???http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
「挙動不信」→「挙動不審」
姿勢が何故か少し後ろに反っている → 身体の重心が後ろ寄りにある
いつまで書いてんだろう、この人 < ちひろ
> 私は「落としたものを『普通に』拾う」身のこなしを習得したい。
> 「道路を『普通に』歩く」ワザは何とか習得したけど、持ち物を落とすと(これを何故か、よくやるんだな〜)「わわ!ピンチだ!」と思う。ちょっとした仕草をよく「ぎこちない」って笑われるから。
「ぎこちなく」はないと本人は思っているのだが、「挙動不信」らしい。
私は、姿勢が何故か少し後ろに反っている。
検査してもらったら、「珍しい。」と言われた。
原因不明。
> > 総合病院の場合は、なんとか受付ができたのにこんどは
> > どこへ行ったらよいのやら病院中をさまよい
> > 迷いに迷ってパニックになってしまいます。
↑これ、わかるのよね。
1. 総合受付で説明してくれる診療科の場所と、診療科の受付に行っ てから渡すものなどの説明が、よくわからない+覚えられない。
↓
場所は聞いていなくても、病院の場合は案内板とかがあって比較 的わかりやすいので、時間はかかってもたどり着ける。よって、 聞かない。(聞いててもわからないし〜。)
だから、それ以外の説明に集中する。
そして渡す物は、聞いた時点で手に持っておく。
すぐに落としてしまう人のことは、知らない〜っと。
2. 診療科の場所にたどり着いても、どこが受付なのかよくわからな い。
↓
しばらく観察してから、ここだろうと思うところに声をかける。
恥をかいてもしかたがない。
次に来ても困らないように、覚えるように努力する。
3. 誰に声をかけたらいいのか、わからない。
(病院の人と他の人の見分けがつかない。病院の人と確信をもっ ても、この人に聞いてもいいのかなとか、私の判断は間違ってい るのではないかとか考えると声をかけれない。)
↓
これも2番に同じだな。
・・・あんまり、役にたたないか〜。
> でもさ、もっと実生活に役立つことで物知りだったら、なにかと便利で得だろうなあ! 銀行や郵便局での身の処し方とか、タクシーの乗り方とか、バスの降り方とか!
私は「落としたものを『普通に』拾う」身のこなしを習得したい。
「道路を『普通に』歩く」ワザは何とか習得したけど、持ち物を落とすと(これを何故か、よくやるんだな〜)「わわ!ピンチだ!」と思う。ちょっとした仕草をよく「ぎこちない」って笑われるから。
> 総合病院の場合は、なんとか受付ができたのにこんどは
> どこへ行ったらよいのやら病院中をさまよい
> 迷いに迷ってパニックになってしまいます。
今頃の総合病院は、病院ボランティアさんがいるから総合受付は楽勝で〜す。
ただ、そこからがやっぱり大変。
私、細菌の研究所に間違えて入りこんじゃったことがあるよ。
怖い〜。
でも今はね、何度も行っているから、かなり大丈夫よ。
変な、検査室とかに連れていかれると、やっぱり帰り道がわからないけど、案内してくれるから♪
> > 今は、銀行とか、郵便局とかは窓口によって役割が違うとか、しばらく待っていれば名前を呼ばれるんだとか解ってきたけど、若い頃は建物に入ったら硬直してしまって、とりあえず一番近い窓口へ行って用件を言って、窓口から離れたらわからなくなってしまうから、とにかく窓口から一歩も離れなかった。
>
> ↑これは、20代の頃の話。
>
> 10代の頃は、病院へ行って受付けにも行かないで、待合室でず〜っと名前を呼ばれるのを待っていたりした。
> 私は、他の人は何らかの方法を使って看護婦さんとコンタクトをとっているんだと思って、ず〜っと観察していたのだがわからなかった。
> 結局、看護婦さんに「受付けしましたか!?」と言われて、そうなん だと気がついたという、なんともオマヌケな話。
> 私は、18才で親元を離れたから、けっこう大変だった。
>
> 自分の書いた「名前を呼ばれる」に反応して、そうそう、そう言えばと思い出してしまったという、つまらない話でした。
>
> 誰も書かないのをいいことに「独り言広場」にしている「ちひろ」でした。
わたしも全く同じでよくぽつんと最後まで待合室にいました。
総合病院の場合は、なんとか受付ができたのにこんどは
どこへ行ったらよいのやら病院中をさまよい
迷いに迷ってパニックになってしまいます。
↓[1226]←これは、ミス投稿ね。
削除キー忘れちゃったので、今、削除、頼んでます。
調子に乗って、書きすぎちゃうからこういうことになってしまう。
反省・・・
> 今は、銀行とか、郵便局とかは窓口によって役割が違うとか、しばらく待っていれば名前を呼ばれるんだとか解ってきたけど、若い頃は建物に入ったら硬直してしまって、とりあえず一番近い窓口へ行って用件を言って、窓口から離れたらわからなくなってしまうから、とにかく窓口から一歩も離れなかった。
↑これは、20代の頃の話。
10代の頃は、病院へ行って受付けにも行かないで、待合室でず〜っと名前を呼ばれるのを待っていたりした。
私は、他の人は何らかの方法を使って看護婦さんとコンタクトをとっているんだと思って、ず〜っと観察していたのだがわからなかった。
結局、看護婦さんに「受付けしましたか!?」と言われて、そうなん だと気がついたという、なんともオマヌケな話。
私は、18才で親元を離れたから、けっこう大変だった。
自分の書いた「名前を呼ばれる」に反応して、そうそう、そう言えばと思い出してしまったという、つまらない話でした。
誰も書かないのをいいことに「独り言広場」にしている「ちひろ」でした。
> だてにトレッキー(あるいはトレッカー)やってるわけではない。
↑これ、スタートレックのことね、たぶん。
私は、あんまり興味ないからよくわからないけど、小さい頃テレビで見た記憶はある。
ウチの夫が、ミスタースポックによく似ている。
本人は、力石 透(りきいし とおる・・・字が違うかな!?/あしたのジョーより)に似ていると思いこんでいる。
そして、ルパンV世になりたいと思っている。
・・・共通点があるような、ないような???
> でもさ、もっと実生活に役立つことで物知りだったら、なにかと便利で得だろうなあ! 銀行や郵便局での身の処し方とか、タクシーの乗り方とか、バスの降り方とか!
うん、うん、これは思う、思う。
今は、銀行とか、郵便局とかは窓口によって役割が違うとか、しばらく待っていれば名前を呼ばれるんだとか解ってきたけど、若い頃は建物に入ったら硬直してしまって、とりあえず一番近い窓口へ行って用件を言って、窓口から離れたらわからなくなってしまうから、とにかく窓口から一歩も離れなかった。
昨日もお金を振り込もうと思って郵便局へ行ったのだけど、振りこみと書いてある窓口に人がいない。
どうしようと思ってしばらく立っていたら、郵便のところの局員さんと目があったので、あとはやってもらえた。
でも、ほとんど困らなくなったので、若い頃にタイム・スリップさせてあげると言われても、ぜったいに嫌だ。
今が、幸せだ。
タクシー編は、また後で書こうっと・・・
> > これ、ミステリやSF、映画や洋ドラなどの掲示板ではポピュラーなやりかたのようですよ。
>
> 相変わらず、物知りな・・・
>
>
だてにトレッキー(あるいはトレッカー)やってるわけではない。
でもさ、もっと実生活に役立つことで物知りだったら、なにかと便利で得だろうなあ! 銀行や郵便局での身の処し方とか、タクシーの乗り方とか、バスの降り方とか!http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
おかえりなさ〜い。 < Lingkoさん
> 宣伝になるから私はOKよ。
で、読みたくない人対策としては、タイトルに警告を入れる。そし て、引用の出てくる直前に、『ネタバレ警報』という表示を入れて、 5、6行くらい気前良く改行します。
ありがとうございます。
これで、心おきなく書きたい時に書けます。
> これ、ミステリやSF、映画や洋ドラなどの掲示板ではポピュラーなやりかたのようですよ。
相変わらず、物知りな・・・
宣伝になるから私はOKよ。
で、読みたくない人対策としては、タイトルに警告を入れる。そして、引用の出てくる直前に、『ネタバレ警報』という表示を入れて、5、6行くらい気前良く改行します。
これ、ミステリやSF、映画や洋ドラなどの掲示板ではポピュラーなやりかたのようですよ。http://web.archive.org/web/20011006201741/http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/
> 同じだな〜。よかった〜。
> 何が、いいのかわからないけど、とにかく良かった。
> フリーラジカルさん、ありがとう。
> お疲れ様でした。
少し納得したところで退散しようと思ったのだけど、追加です。
ほんとは今、読んでる本の引用文をいっぱい書きた〜い、衝動にかられてるんだけど、「著作権はどうなるのかな、翻訳した人は今、旅行中のようだし。」「たしか、自伝は読みたくないと言ってた人もいるし、これ書いちゃうと内容が少しわかっちゃうよな。」とか、バカな頭で考えてます。
とにかく、固まっちゃうぐらい驚いている私だ。
ハイ、退場、退場。
頭がゴチャゴチャしてきたので題名、変えます。
> これ↑、「不快」のところまでは分かるけど、「不快」だからといって必ずしも「嫌い」にはならないな、私のバヤイ(←こればっか)。
あれ〜、私と同じだ。
> ぶっちゃけた話、地球人とは「一緒に居たい」と思ったこと、あんまりないな。つまんないもの。地球人=常識的な考えを持った人っていうのは、文部省選定の課題図書みたいなもので、読む前に帯を見ただけで大体、内容が予測できちゃうよね。
> ところが連邦市民とは大抵、「一緒に居たい」と思う。「もっと分かりたい」と思う。ところがみんな、個々に余りに重すぎて「一緒に居たいけど暑苦しい」。長くは一緒に居られない。
私が、今すごく興味があって付き合いのある人が2人いるんだけど、「連邦市民」だと思うんだよね。
でも、私のことは認めても、自分のことは認めない。
「一緒に居たいけど、暑苦しい」
だから一人の人とは、月に一度だけ会っている。
あとは、興味のある講演会などのお誘いだけ、お互いにするだけだな。
近所なんだけどね。
もう一人の人は、年に4回だけだな。
>それに私自身、狭山先生(おっと懐かしい)と同じで「分かられたくない」。相手のことは分かりたいけど、自分のことは分かってほしくない。というか、言葉で定義してほしくない。ムシが良すぎるな、私。自戒自戒。
> 連邦市民はとっても好きなのと同時にとっても嫌い。
同じだな〜。よかった〜。
何が、いいのかわからないけど、とにかく良かった。
フリーラジカルさん、ありがとう。
お疲れ様でした。
> 「興味がある」→「一緒に居たいけど暑苦しい」→「不快」→「嫌い」
> ・・・そうだったら、私も嫌いな人ばかりを求めていることになる。
これ↑、「不快」のところまでは分かるけど、「不快」だからといって必ずしも「嫌い」にはならないな、私のバヤイ(←こればっか)。
「愛情」と「憎悪」が表裏一体なのと同じで、「好き」と「嫌い」も同じものじゃないかな。よく言うでしょ、地球語で「嫌い、嫌いも好きのうち」って。
ぶっちゃけた話、地球人とは「一緒に居たい」と思ったこと、あんまりないな。つまんないもの。地球人=常識的な考えを持った人っていうのは、文部省選定の課題図書みたいなもので、読む前に帯を見ただけで大体、内容が予測できちゃうよね。
ところが連邦市民とは大抵、「一緒に居たい」と思う。「もっと分かりたい」と思う。ところがみんな、個々に余りに重すぎて「一緒に居たいけど暑苦しい」。長くは一緒に居られない。それに私自身、狭山先生(おっと懐かしい)と同じで「分かられたくない」。相手のことは分かりたいけど、自分のことは分かってほしくない。というか、言葉で定義してほしくない。ムシが良すぎるな、私。自戒自戒。
連邦市民はとっても好きなのと同時にとっても嫌い。
>「普通になりたい」と強く思い詰めている
そう思っているつもりは、ぜんぜんないんだけれど、言ってることとやってることがバラバラだから。
「嫌いな人ばかりをわざわざ求める」ことを、「や〜めた!」って言って、すぐにやめれたらいいんだけどなあ〜。
「普通になりたい」とは、もう思っていないんだけれども、「普通の母親になりたい」は思っているなあ、困ったことに・・・
> > 「一緒に居るとつまらない」と「一緒に居たいけど暑苦しい」は、「快」ですか!?「不快」ですか!?
ごめんなさい。
↑これはね、「興味がない」と「興味がある」だったら、すぐに分けれるのよ。
でも、「好き」と「嫌い」には分けれないのよ。
「〜自分が内心では嫌いな人ばかりをわざわざ求めていたころは、・・・でも、今ではもう、嫌われていると知りながら、そんな人のためにエネルギーを使ったりしない。」
「興味がある」→「一緒に居たいけど暑苦しい」→「不快」→「嫌い」
・・・そうだったら、私も嫌いな人ばかりを求めていることになる。
本でも少しふれているけど、たぶん「普通になりたい」と強く思い詰めている間は、この馬鹿げた欲求はなくならないんじゃないかなと思う。
> 「一緒に居るとつまらない」と「一緒に居たいけど暑苦しい」は、「快」ですか!?「不快」ですか!?
>
>ん〜、めっちゃ難しい質問。ちょっと今、頭パッパラッパーなので(いつもだが)パワーがみなぎってきたら考えます。
>
> 一緒に居てラクチン=「快」
> 一緒に居ると暑苦しい=「不快」
> これじゃあ、『異邦人』のムルソーだな。
「一緒に居るとつまらない」と「一緒に居たいけど暑苦しい」は、「快」ですか!?「不快」ですか!?
私にとっても「好き、嫌い」は難題です。
「快、不快」ぐらいしかない。
つまり
一緒に居てラクチン=「快」
一緒に居ると暑苦しい=「不快」
これじゃあ、『異邦人』のムルソーだな。
私の興味のある人というのは、私には理解しにくい考え方を持っている人だったり、私の事を嫌っているのかなと思えるような強い口調で物を言ったりする人だったりするのです。
↓
(少し、違ってた。)
〜 一般的には理解しにくい考え方を持っている人だったり、〜
(要するに、少し変わった考え方、行動をする人だな。)
本人・・・と、一度は納得したものの、いまだにコウモリしている「ちひろ」です。
今、ある本人さんの書かれた本を、読んでいるんだけど、
「以前は、自分が内心では嫌いな人ばかりをわざわざ求めていたころは、私は大変なエネルギーを費やして、その人のよい面を見つけようとしていた。・・・
・・・でも、今ではもう、嫌われていると知りながら、そんな人のためにエネルギーを使ったりしない。」
ということは、この人はもう、この問題を克服してるわけね。
どうも、私よりも少し若い人のようだけど。
私はまだ、克服してません。
・・・というより、私には「好き、嫌い」ということが、わからないんじゃないかと思ってる。
「恐怖」というのは、わかるんですよ。
私にとっては、「学校の先生」というのは「恐怖」の対象であって、でもこれが「学校の先生」であっても名前なら、少しは恐怖が和らぐのですが・・・
私は、興味のある人、興味のない人という分け方をする。
ただ、私の興味のある人というのは、私には理解しにくい考え方を持っている人だったり、私の事を嫌っているのかなと思えるような強い口調で物を言ったりする人だったりするのです。
私は、その人を理解したいと思ってしまう。
ほんとうに、エネルギーをつかいます。
私にとって興味のない人と、いつも付き合っていれば、こんなにエネルギーを使わなくて済むのに・・・
でも、興味のない人の話を聞いているのは、時間の無駄遣いのように思えてならない。
それと、私にとってもう一つの「恐怖」の対象は、はっきり物を言わない人。
ほんとうに、無駄なエネルギーをつかって生きてるなあって思う、私って・・・
NEWS WEEK 2000/7/31号(英語版)の特集 "Understanding Autism"
の記事です。
−−−−−−−−− 日本語版は
ニューズウィーク日本版 2000年8/30号
毎週水曜発売 定価400円
Newsweek Japan Online( http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.nwj.ne.jp/ )
医療 自閉症の心に光を当てる
■ 健常者とは「感じ方」が違う
■ 自閉症を見分ける方法は?
■ 原因 親たちを悩ませる予防接種への疑問
ワクチンの予防接種と自閉症の関係が議論の的に
http://web.archive.org/web/20011006201741/http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/
ハタミホコさん、こんにちは。
>中づりには「子どもが自閉症だった母の……」とあったような気がして、
私もあったと記憶しています。
そして確かに「治った」という記事はありませんでした。
中づりは本当にいいかげんですよね。
中づりに踊らされて、さらに是非読んでみてくださいなんて書き込んだ私は、ばかですねえ。
私としては興味深いと思った記事もあったのですが.......。
「脳の画像データを調べた結果、自閉症の人々と健常者では、人の顔を見た時の反応に違いがあることがわかった」
とか.......。
でもどの話も中途半端って感じでしたね。
雑誌を買って怒っている方がいたら、ごめんなさい。
> JJさん、
> お弁当、無事食べられましたか?
> 様子を想像してしまったらなんとも...
> なんで今日に限って二つなんでしょうね。
>
> 1.どちらか一つが小さいと思って二つ入れてくれた。
> 2.たまたま間違えて二つ入れてしまった。
> 3.今日から二つになった
> 4.JJさんのように誰かが奇妙に思うかもしれないと思ってわざと二つ入れてみた。
> 5.今日の朝作った最後のお弁当で、唐揚げだけ一つ余ったので入れた。
とらさん、ご心配をかけました。
からあげがひとつ多かった原因はわかりませんが
ひとつ多かったからあげを視覚から削除する手段を
偶然にもとれましたので何とかお弁当はいつものように
食べることができました。
今日はといえば・・・
いつものないようでした。ほっ、
カンガーさん、こんにちは。
私もニューズウィーク、中づりに引かれて購入しました。他の雑誌に比べて高いので立ち読みで済ませようかなと思ったけど、キオスクだったんでちょっと無理で、ちゃんと買いました(^_^;;
中づりには「子どもが自閉症だった母の……」とあったような気がして、すごく気になっていたんですが、記事の内容は療育などによる行動の変化について書いてあるだけで、「治った」という記述はありませんでした。
また中づりには、「3種混合ワクチンが原因か?」というようなセンセーショナルな内容も書いてありましたが――3種混合ワクチンのなかの弱体化された「はしか」ウイルスが原因という説があって議論になってはいる。専門科の意見としてはそれを裏付けるデータはないが、調査を続けている。しかし、「はしか」は命にかかわる病気なのだから予防接種は受けさせるべき――というような内容です。
「心の病」はあったかどうか覚えていませんが、中づりのキャッチコピーは、どうも記事をざっと読んだだけで適当に付けているようで、「おいおい」というようなものものがありますねえ。しかし、私も中づりが気になってこの雑誌を買ったのですから、営業戦略としては当たったのかも(^_^)
御存じかもしれませんが、
今日発売(?)のニューズウィーク日本版に自閉症の特集記事がのっていました。
これを見つけたきっかけは、車内つり広告です。
混んでいる電車の遠くからだったので良く読めなかったのですが、「心の病」と書かれていたように思って(違っていたらすみません)気になって購入しました。
記事には「心の病」という言葉はありませんでした。
なかなか興味深い内容もありました。
是非お読みになってください。
JJさん、
お弁当、無事食べられましたか?
様子を想像してしまったらなんとも...
なんで今日に限って二つなんでしょうね。
1.どちらか一つが小さいと思って二つ入れてくれた。
2.たまたま間違えて二つ入れてしまった。
3.今日から二つになった
4.JJさんのように誰かが奇妙に思うかもしれないと思ってわざと二つ入れてみた。
5.今日の朝作った最後のお弁当で、唐揚げだけ一つ余ったので入れた。
お昼はいつも決めているコンビニの幕ノ内風お弁当。
4つに分かれたトレイの中はいつも同じ内容のもの。
食べる時の向きも決まっていて食べる順序も決まっている。
今日もいつものようにいつもの順序で食べていたのだが
からあげにお箸がふれたときちょっとしたパニック。
いつもひとつしか入っていないからあげが今日のお弁当には
ふたつ入っていた、しばしながめていた、何度確認しても
からあげはふたつある。
間違っていつもと違うのを買ったのか、いやほかのメニューには
変更はない、悪い夢を見ているのか、変化に弱いわたし。
どうしてふたつあるのか・・・
考えていたらお弁当が食べれない・・・
どうしたらいいのだろう・・・
> とらさん、Mさんの「ことばと発達の学習室」で質問いただきましたが、私が不得手な分野ですので、お答えできません。ごめんなさい。
> すみません。
負担を欠けてしまったようですね。
フリーラジカルさんってここの掲示板などの書込みを見ていても、いろいろと失敗談はあっても全然普通に思えてしまって...ホントごめんなさい。
> どうもやっぱり過労気味のようです。
> 時系列の感覚がめちゃめちゃになってきました。
> (↑これ、普通の人には起きないんですって?
> タイム・スリップがひんぱんに起き始めると、頭の中の時計が狂ってくるんです。怖いですよ〜。映画『ジェイコブズ・ラダー』をご覧あれ。バーチャルに体験できます。)
現実に戻らない方が幸せな場合もあるかも・・・
どうもやっぱり過労気味のようです。
時系列の感覚がめちゃめちゃになってきました。
(↑これ、普通の人には起きないんですって?
タイム・スリップがひんぱんに起き始めると、頭の中の時計が狂ってくるんです。怖いですよ〜。映画『ジェイコブズ・ラダー』をご覧あれ。バーチャルに体験できます。)
しばらく、休憩します。
とらさん、Mさんの「ことばと発達の学習室」で質問いただきましたが、私が不得手な分野ですので、お答えできません。ごめんなさい。
すみません。
> 私は人間っていうものは元々群れて生きる生き物だから、群れをつくろうとする本能からか、孤立している人を見るとちょっかいを出さずにいられないのかしらと思っていたのですが・・・
当時の私は、「群れから離れていること自体」が群れへの挑戦行為に等しいものだと知らなくて、「どうしてみんな私のこと、怒ってるんだろう?」と真剣に思ってたよ。この真理(?)に気付いたのは、会社という群れの内側に否応なく組み込まれたときだった。一匹オオカミ的に仕事をしている同僚が、陰で、そしてどうしようもなく下らない理由で中傷されているのに気付いたときだった。怖かった。
娘の夜驚前奏曲が二晩、続きました。はあ〜あ・・・
これから本格的になるのかなあ・・・
同級生とあいさつできない。
話しかけられたくない。いっしょに遊びたくない。
おとなしそうに見えて授業中は、やたらと手を上げまくっている。
結局、私と娘は同じことをしている。
そしてやっぱり休み時間は、ほっておいてほしいのに、ちょっかいをかけられて泣いている。
>人と違って平気でいる人を見ると、攻撃されているような気がするんでしょうか。
そうかもしれませんね。
私は人間っていうものは元々群れて生きる生き物だから、群れをつくろうとする本能からか、孤立している人を見るとちょっかいを出さずにいられないのかしらと思っていたのですが・・・
それだけでは、なぜ私一人が攻撃対象になったのか説明つきませんよね。
「ほっといて!」で、ほっておいてくれたら娘の学校生活も楽しいものになるのに。
でも、あからさまなイジメと違って、これはなかなか難しいです。
今は、夏休みで楽しい毎日のようです。
> 例えば
> 「校庭で一人で遊んでいて平気なこと」=「協調性がないこと」「自己チュー」
> になるんでしょうか?
誰にも迷惑、かけてないのにねえ。
> いったん仲間はずれになったら、それはそれは気楽でしたよ。
> でも自由時間に一人で図書室にいたりすると、押し掛けてくるんですよ、ジャイアン少女の群れが。で、イジワルを言ったりして攻撃してくる。どうして私を無視できないのか、と思いましたね。
ほんとに、どうして放っといてくれないんでしょう。
そっとしておいてほしいだけなのに、ちょっかいをかけてくる。謎です。
でもこういう人たちのほうが、ソーシャルスキルが良いというのでしょうか。